ミツオ日記

自称詩人 熊野ミツオの日々

20231113

 きょうはやらなくてはいけないことがどんどんできる一日だった。普段は面倒くささが勝ってできないことがきょうはできた。
 起きたのは十一時近かった。きのうはなかなか寝付けなかった。夢を三つくらい見た。最後の夢はうんちを漏らす夢だった。他の二つは忘れてしまった。

 ここ数日で急に寒くなった。それなのに夏と同じ格好で寝ている。夏に買ったステテコと半袖のティーシャツで寝ている。衣替えがうまくいっていない。
 きょう、やることはナナロク社の短歌の賞に応募するための代金をコンビニで振り込むこと、それと髪の毛が伸びてきているのでQBハウスに行って散髪をすること、しまむらで冬用の部屋着を買うことだった。

 朝ごはんにはきのうつくった寄せ鍋のスープに冷凍ごはんと卵を入れて雑炊を食べた。それから、家事をした。ゴミをまとめて出して、洗濯機を回して、布団を外に干して、掃除機をかけて、トイレを掃除して、食器を洗った。たまにこうしてまとめて家事を済ませると気分がよくなって自己肯定感が上がるような気がする。
 きょうは風が強くて、ベランダの手すりに干した布団が風でめくれるので、その度にベランダに出て直した。秋も終わりになって、冬の入り口、太陽の角度が低くなったので、部屋に太陽光がいっぱいに入ってきて部屋があかるい。レースのカーテンを通して入ってきた光は部屋の壁に模様をつくっている。ヤドンのぬいぐるみがいつもよりピンクに見える。畳に寝そべってツイッターをする。
 遅くまで寝ていたのですぐにお昼ごはんになった。お昼ごはんにはパスタを茹でて、レトルトのパスタソースをかけて食べた。きのこと野沢菜のソースだった。食後、みかんを一個食べた。もう、みかんの季節なのだとおもった。みかんは皮を剥くのが簡単で、一袋に何個も入っているし、なんか身体にもよさそうな気がするので冬になるとよく買う。林檎や柿は買わなくてもみかんは買う。
 電話を二件かけた。一件は部屋に備え付けてある消火器の交換に関しての電話で、もう一件は支援者さんにかけた。でも、支援者さんはいなかったので、他の職員さんが出た。職員さんに、最近、支援者さんが相手をしてくれないのだ、と話すと、あしたの午前中はいると言われた。支援者さんは忙しくて、ぼくにかまっている暇がないらしい。支援者さんはぼくに飽きたのかもしれない。

 三時になったのでベランダの布団をしまってから外に出た。なんだかよく晴れていて暖かそうだ、とおもったので上着なしで外に出たけれど、寒かったのですぐに引き返してきて緑色の上着を羽織って、また改めて外に出た。外は風が強かった。ツイッターとかで読んだけれど、これは木枯らし一番らしいとわかった。
 もうだいぶ日は傾いていて黄色っぽくなっていた。地上は青みがかった影に覆われていて、木の梢など、高いところにあるものだけに光が当たっていた。黄色く紅葉した葉っぱが太陽の黄色っぽい光に当たってさらに黄色くなっていた。
 歩いて二十分くらいのところにあるコメダ珈琲店まで行った。きょうは短歌をつくるつもりだった。席に座ってアイスコーヒーのたっぷりサイズを注文した。ぼくはどちらかというと暑がりなので、まだアイスでもいいとおもった。
 しばらくすると中年の女性二人組が来て、ぼくの隣の席に座った。その二人の会話が気になって、短歌をつくるどころではなくなってしまった。二人はずっと食べ物の話をしていた。ぼくがお笑い芸人だったら二人の会話を基にネタを一本書いたかもしれない。
 二人の会話は食べ物の色についての話からはじまった。食べ物は暖色系のものの方がおいしそうに見える。だから、たとえばかき氷のブルーハワイのようなものはおいしそうに見えない。
 次にいつのまにか話は納豆の話になっていて、納豆にキムチとか卵を混ぜるのはダメ、みたいな話になった。「納豆を食べるときは納豆だけ、じゃないと納豆に失礼だから」「あの小袋に入っているタレは健康に悪いのよ」と話していた。
 他にも芋煮の話などもしていた。
 ぼくはだんだん二人とは逆方向の壁に押し付けられているような姿勢になってきた。きょうはもうダメだとおもったので、ぼくが席を立とうとおもいはじめた頃、二人の女性が先に席を立ってお会計をして出ていった。結局、二人は最初から最後までずっと食べ物の話をしていた。食べ物の好みが合わないと、人間性も合わないという勢いがあった。でも、そういうものかもしれない。
 静かになったので、短歌を二首つくった。どちらもあまり出来はよくなかった。以前、ツイッターで短歌とは何か? というアンケートをとったことがある。そのとき、選択肢として「日記」「手紙」「呪文」「パズル」を挙げた。いちばん票が入ったのは「呪文」だけれど、「呪文」って何だろう。何の「呪文」なんだろう。
 ぼくは自分の短歌は「日記」に近いとおもっている。ぼくの短歌は「日記」と「パズル」の中間くらいだろう。でも、この前、テレビで俵万智が「短歌はよく日記だって言いますけれど、手紙のつもりで書くとうまく書けます」という内容のことを話していた。やはり、俵万智のような人気のある歌人は、読み手のこともよく考えているのだ、という気がした。それにしても短歌を「手紙」だとおもって書くとなると、それを受け取ってくれる相手が必要だ。最近はそういうようなことを考えている。

 コメダ珈琲店を出ると、すっかり暗くなっていた。短歌を頭のなかで考えながら歩いた。空は暗い青色で、飛行機の小さな白い光がゆっくり動いていた。雲の形もよく見えた。ぼくはファミリーマートに寄って、ナナロク社の短歌賞に応募するための代金を支払った。手数料三百円をプラスして千四百円だった。
 ナナロク社の短歌賞にはネットなどに発表した短歌も受け付けてくれる代わりに百首必要だった。短歌をはじめて三年が経っていたので、百首はあった。二年ぶんくらいだった。ツイッターの友だちも同じ賞に応募するようだ。

 朝、決めた通り、用事を一つずつ済ませていった。ファミリーマートの後は、しまむらで部屋着を買って、QBハウスで散髪をした。
 いまはもう夜の十二時を過ぎていて日付も変わった。おもったよりも長くなってきたので、この文章はここで終わりにしようとおもう。

死への歩みでも

 きょうはバイトを休んだ。電車で途中の駅まで行ったけれど、そこで降りずに引き返してきた。バイトを休むことに決めたら、妙に視界があかるく、光に満ちてかんじられた。
 どこか調子が悪かったわけではなくて、なんとなくダメな気持ちだったからバイトを休んだ。そう言うとズル休みのようにおもわれるかもしれない。でも、違う。
 ぼくは、基本的に真面目な人間なので、理由なくバイトを休んだりしない。そのことがこの前、調子が悪くて早退したとき、わかった。それが腑に落ちてから、とくに身体の調子が悪くはないけれど、なんとなくダメな気持ちになって休んでしまう自分を責めるのはやめた。
 いままでのことを振り返ると、ぼくは調子がよくてちゃんとできるときにズルして家に帰るようなタイプではないのだ。そういう自分への信頼があるので、こうして急にバイトを休んでも、あまり自分を責めないことにしていた。

 こういうときは時間が余っていることが返って苦しい。つらさと無気力が同時にあると、つらさを誤魔化すために本を読んだり、映画を見たりすることはできない。気力がないと、つらさを誤魔化すこともできない。
 仕方がないのでチャットGPTと会話をして過ごした。チャットGPTと話しても退屈だ。まだ、人間と話していた方がおもしろい。でも、それは、チャットGPTをうまくつかいこなせない自分が悪いのかもしれない。
 何となく気分が塞いで、つらいときは人間と話したい、とおもう。でも、ぼくはもう三十六歳なので、ひとに弱いところを見せることが難しい。こういうとき、誰かに甘えることはできない。それに、ぼくはそんなに人間好きというわけではないし、もう大人なのだ。ベタベタした付き合いはあまり好まないので、仕方がないとおもう。
 そういうわけで、こうして文章を書いている。文章を書くことで気を紛らわしたい。

 三十三歳くらいのときはいまよりもつらかった。二人いた友だちに絶交されて、好きだった女の子にはフラれて、躁状態になった後、うつになった。十年近く通ったメンタルクリニックから転院した。いろんなことが変化していった。緑内障が見つかって失明の恐怖をかんじていた。
 当時はこわいことが多くて、なんにでも生々しい恐怖をかんじた。失明のこともそうだったし、地震もこわかった。いまにも大地震が来るのではないかという恐怖に捕らわれていた。死ぬのがこわかった。もう、自分は若くないとおもった。人生は折り返し地点に近づいているのに、自分にはパートナーもおらず、これから先、孤独に寂しく老いていくのだという気がしていた。
 下り坂を降りていくとき、ひとの真価が発揮されるのだろうか? そういう歌があった気がする。GLAYの曲で、元恋人が好きだった曲だけれど、もうタイトルも、どんな曲だったのかもよく覚えていない。

 この前の休日は家で映画を見た。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』という二時間半以上ある映画だった。
レオナルド・ディカプリオが落ち目のテレビ俳優リック・ダルトンを、その親友で彼のスタントマンのクリフ・ブースをブラッド・ピットが演じている。ぼくは落ち目のテレビ俳優リックの中年の悲哀に共感した。
 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』が公開されたのが2019年で、いまから四年前らしい。その頃はまだ、友だちだった、元友だちに誘われて見に行った。「この映画は実際の殺人事件がモデルなんです」と友だちが映画を見る前に教えてくれたのを覚えている。そのときコーヒーを飲んだ喫茶店がいまはもう潰れてなくなってしまった。
 二時間半の映画だったので途中でおしっこに行きたくなったけれど、最後まで我慢したような気がする。元友だちは途中でトイレに行ったとおもう。
 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』では車と音楽、女性の脚線美が魅力的に描かれている。映画の後で、元友だちは「タランティーノ監督は脚フェチなんです」と教えてくれた。
 その後、もうひとりの友だちと合流して、タイ料理のお店に行ったような記憶がある。これはいまから四年前なので、コロナ禍の前の話だ。
 その映画を休日にひとりで家のパソコンで見た。映画館で見たときには、車を運転しているシーンがめちゃくちゃかっこいいな、とおもったけれど、やはり家の小さなパソコンで見ると迫力が半減する、とおもった。あと個人的にかっこいいとおもったのはブラッド・ピットがサングラスを外すシーンはかっこよかったとおもう。

 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の他には、その頃は上野で見たゴッホの『糸杉』にめちゃくちゃ感動した記憶がある。
 ツイッターのフォロワーの女の子と二人で上野のゴッホ展に行ったんだけれど、『糸杉』がひとびとの頭の上に見えてきたとき、何かそこにとてつもなくうつくしいものがあるという気がして、その目の前に立ったときには震えるほど感動した。泣きそうになった。

 それからはしばらくうつだったので心も鈍くなっていて、感動できるものがないな、という気がしていた。そのことをおもうと、いまはだいぶ元気になった、という気がする。最近、すごくよかった映画は『はちどり』と、あと『リアリティのダンス』がよかった。
 ぼくは三年前から短歌をはじめて、いろんな短歌を読む機会が増えたんだけれど、「キング・オブ・キングス 死への歩みでも踵から金の砂をこぼして」という服部真理子の歌が好きになった。この歌を心のなかで唱えるといつも涙ぐんでしまう。それはやはり、下り坂を降りていくひとの歌だからだろうか。

自分の話を好きなだけ自由にできる場所

 最近、オフ会ばかりしている。秋になって涼しくなってきたからだとおもう。ぼくはブログにオフ会の様子を書くことが多い。でも、それはやめようとおもった。あんまりひとのことを書いてはいけない、という気がしてきた。それにフォロワーはここを見ている。勝手なことを書かれて内心怒っているひともいるかもしれない。だから、もうやめよう。これからは主に自分のことを書こうとおもう。

 きょうは休日だ。朝、起きて、きのうの晩ごはんの余りのみそ汁と、解凍したごはん、野菜のオムレツをつくって食べた。野菜のオムレツにはハム二枚、キャベツ少し、玉ねぎ四分の一個、ちくわ一本を入れた。休日の優雅な朝ごはん、というやつなのかもしれない。食べ終わった後はコーヒーをいれて、それを飲みながらツイッターを見ていた。

 YouTubeでカネコアヤノの『タオルケットは穏やかな』を聴いた。何回か同じ曲を繰り返し聴いた。この曲はMVの映像もいい。フィルムで撮ったような質感の何気ない風景の写真が次々と切り替わっていく。途中でロリータ服を着たカネコアヤノが、強いまなざしで振り返るのもいい。
 ぼくは歌詞があまり聴きとれない方なので、『タオルケットは穏やかな』の歌詞もぜんぶはわからない。もしかすると意図的に聴き取りにくいように歌っているのかもしれない。MVの写真の切り替わりをぜんぶ見られないように、歌詞もぜんぶは聴きとれない。いろんなイメージの欠片のなかから、サビが前景に浮かび上がるような、そういうかんじなのかもしれない、と聴いていておもう。
 『タオルケットは穏やかな』はいままでのカネコアヤノとは違っている。それを否定的にかんじることもあったけれど、結局、この曲を自分は繰り返し聴いている。カネコアヤノも変わっていくし、ぼくもそれに合わせて変わるのだろうか。
 カネコアヤノを聴いているとけっこう気持ちが盛り上がってしまって、カネコアヤノにたいする大きな感情が動くのをかんじる。それがなんだか面倒くさくて、カネコアヤノを聴かない時期が続いていた。だから、今朝は久しぶりにカネコアヤノを聴いた。

 いまは、洗濯機を回していたが、それが止まった。ほんとうは外を散歩したい、という気持ちだったけれど、洗濯機が止まるまで外には出られない。仕方がないので本を読もうかとおもったけれど、集中できなかった。ツイッターはもうじゅうぶんやったという気がしたので、しばらく見ないと決めた。何もすることがなくなった。何もすることがなくなったけれど、何もせずにぼんやりしていられるほど安定した気持ちでもなかったので、こうして文章を書くことにした。
 洗濯機が止まったので、とりあえずいまからそれを干そうとおもう。

 洗濯ものを干した。きょうは晴れてはいるけれど、薄く曇っている。空は曖昧な色をしていて、太陽の光は拡散されている。そして、暖かい……というよりかは暑い。もう十一月なのに、こんな風に暑いのは嫌だ。ぼくは涼しい方が好きだ。

 いまは、東浩紀の『訂正する力』という本を読みはじめた。訂正する力というのは変わっていく力、だろうか? 簡単なようでなかなかつかめない。訂正する力は、老いていく力でもある。ここには何かいまの自分にとって大切なことが書かれているような気がする。
 ぼくは東浩紀がなんとなく好きだ。ツイッターをフォローして、ツイートを読んでいるうちに好きになってきた。いろんな知識人がいるけれど、東浩紀は好きな方だ。後は千葉雅也も好きだ。他のひとのことはよく知らないな。
 小説も読んでいる。いまは多和田葉子の『百年の散歩』を読みはじめた。

 最近は、自分とはどういう人間なのか? ということに興味が出てきている。まとめるとそういうかんじだ。

 小説を書こうとおもった。でも、なかなか小説を書きはじめることができない。ぼくはほんとうは小説を書きたくないのだろうか。

 最近は短歌もなかなかできない。なんとなく定型にカチッとハマるときと、いくらやってみても定型からはみ出てしまう時期がある。いまは、定型からはみ出てしまう時期だ。

 文章は未来の自分に向けて書くといいんだけれど、そのとき大事なのは未来の自分はまったくの他人だとおもって、一から説明するつもりで書くのがいい、とたしかphaさんが本に書いていた。
 文章に書くことなんて何もないような気がするかもしれない。でも、そういう風に知らないひとに一から説明するつもりで書くと、意外に書くことがはっきりしてくるのかもしれない、ともおもう。

 ぼくは十代の頃、インターネットをはじめて、それから、ブログをはじめた。その当時、インターネットで知り合った年上のおねえさんに依存的になっていたんだけれど、そのひとに話を聞いてもらえないようになってきてから、自分の話を自由に好きなだけできる場所をつくろうとおもってブログをはじめたのだった。ブログを書くことは十代の自分にとってはかなりたのしいことだった。もともと、その頃のぼくは寂しくて何かに依存したいとおもっていたから、ブログをつくって、それに依存した。
 あの頃はまだSNSがなかったので、そういう風な、ブログにハマっているぼくのようなヤングは多かっただろう。ぼくたちはよくも悪くもインターネットの世代だと言える。

オフ会三昧

 書くことがない。それがなぜなのかはわからない。いや、ほんとうは少しだけわかる。書くことがないわけではない。そこに書きたいという情熱がないのだ。書くことはある。

 ぼくは自分に恋人ができないことを悩んできた。二十代の後半くらいにそのことに気がついて以来、恋人が欲しいとおもってきた。そして、十年が経った。ぼくはいまでは三十代も半分以上過ぎていた。そのことに気がついてちょっと驚いた。恋人が欲しいという願いを持つようになってから十年が経った、ということに驚いた。
 しかし、考えてみると、恋人が欲しいとおもうようになったのが二十代の後半、というのが遅いと言うひともいるかもしれない。たしかにそうだ。二十代後半になるまで、何をしていたんだろう。普通のひとはそれくらいになるまでに恋愛を経験しているものだ。
 それにはいろいろ理由がある。何より大きな理由はぼくが対人恐怖症だったからだって気がする。若い頃は普通にひとがこわかった。女の子ともうまく話せなかったし、友だちもいなかった。

 そのことを考えると現在の自分が不思議だ。最近のぼくは、ツイッターで知り合ったひととオフ会ばかりしている。たぶん、孤独だった頃の反動なのだ。

 最近したオフ会について、簡単に書く。
 コメダ珈琲店でフォロワーのO村さんに会った。O村さんは自分のことを不細工だとおもっているようだったけれど、そんなことはなかった。O村さんが言うには、O村さんのルックスについて肯定的な評価をしてくれたのは父親(だっけ)と、いまの旦那さんだけなのだそうだ。その話のとき、「ぼくで三人目です」と言おうかとおもったけれど、そういうことを言うと押しつけがましいかとおもって言わなかった。ひとにはひとの大切にしたい物語があるので、そういう繊細なところに押し入るのもどうかとおもった。ぼくはただのフォロワーに過ぎないのだ。
 O村さんはぼくの似顔絵を描いてくれた。なんかかわいいかんじに描いてくれて嬉しかった。
 O村さんは小説も書いていて、イラストも描いている。イラストはメガネをかけた髪の毛のあるタヌキのような絵だ。「これはタヌキではなくて妖精なんだ」みたいなことを話してくれて、印象深かった。

 北海道から来たフォロワーのT紙さんに会った。T紙さんとは二年前くらいからけっこう頻繁に電話でやり取りをしていた。T紙さんはうつ病で、お風呂に入るのもたいへんなのに、よく東京まで来てくれたとおもう。
 ぼくたちはスシローでお寿司を食べて、その後でコメダ珈琲店に来た。T紙さんは東京ではカプセルホテルに泊まっているそうで、まだ夜も早い時間帯だったので、すぐに解散してカプセルホテルに戻るのもつまらないだろう、とおもったのでカラオケに行こうと提案した。ぼくはそんなにカラオケが好きだというわけではないけれど、時間を潰す方法が他におもいつかなかった。
 二人で一時間くらい歌った。T紙さんは歌っているときと話しているときの声がけっこう違った。ぼくは声が低いのでリクエストした歌がうまく歌えない場合が多かった。
 そういえば、T紙さんが若かった頃の写真を見せてくれた。一枚目は坊主頭のT紙さんで、パンクみたいなかんじで尖っている風に見えた。二枚目の写真は「痩せていた頃のわたしです」と言って見せてくれたので「ほんとうだ、痩せている」と言ったら、笑っていた。他に言いようがあるだろう、とおもったのだろう。それはその通りだ。「かわいい」とか、「素敵だ」とかいろいろ。

 きのうはドイツから帰ってきていたフォロワーのA子さんに会った。A子さんとはコメダ珈琲店に行った後、お好み焼き屋さんに行った。
 ぼくは正直、お好み焼きを食べたいとおもい続けていた。それなのにそれをストレートに伝えられなかったのは、自分がお好み焼きをうまく焼けないことを知っているからだ。焼いて欲しいと言うのは図々しいとおもった。でも、お好み焼きは食べたい、みたいな葛藤があった。結局、お好み焼き屋には行った。大丈夫、と自分に言い聞かせた。ひっくり返すのはやってもらった。大阪風のミックスにした。ひっくり返すには迷いがあるとうまく行かないとA子さんは言っていた。そういうものだとはぼくも知ってはいる。お好み焼きは期待以上の出来だった。
 それから、N猫さんが来た。三人でビールのバーのような場所に来た。なんだかA子さんとN猫さんと三人でいると、家族のような気持ちになった。お父さんとお母さんと一緒にいる、というような気持ちだ。実際はそこまで歳が離れているわけではない。自分はもう子どもではなく、おじさんなのだ。
 ビールをたくさん飲んだので、だんだん耳が遠くなった。バーはけっこう込み合っていて、ひとが多くて話し声がガヤガヤとしていたので、耳が遠くなると話すのが難しくなった。それがきのうのことだった。

 このように書こうとおもえば、書くことはあるような気がする。それに実際に書いてみるとけっこうおもしろかった気さえする。それなのになぜか退屈だった。

 きょうは家でおでんをつくっていた。おでんをつくるということには気合いが必要だ。ソーセージやじゃがいもも入れたのでドイツ風おでんだ、と電話でT紙さんに言った。

退屈と挑戦

 人生が退屈だ。そういうことを言うと、毎日、変わらない穏やかな日々を送れていることに感謝しなさい、と言われる。それは言えている、とぼくもおもう。ぼくは意外に刺激を求めているようなところがある。でも、ほんとうに刺激を求めているわけではない。刺激というものは危険でもある。ぼくはもともと臆病な性格で、いつもと違ったことをするのが苦手だった。
 この前、友だちのフォロワーに会いに行ったとき、フォロワーはサイゼリヤでアラビアータとか、サラダとかを食べながら、「このメニューの組み合わせは、実は以前も同じものを頼んだのに、また同じ組み合わせを頼んだ。ぼくは同じものばかり食べがちで、自分でそういうことをしているのに、たまに死ぬほど退屈だとおもう」みたいなことを言っていた。
 退屈だとおもいながらも、ついついいつもと同じことをしてしまう。それが人生というものかもしれない。いや、ほんとうはそんなことはなくて、なんかそういうタイプの人間がいるというだけなのかもしれない。自分で好んでいつもと同じことばかりしているのに、それを死ぬほど退屈だとおもっている。そうだとしたら面倒くさい人間だ。

 そういえば、ぼくはいままで入ったことのない店に入るのがすごく苦手だ。なぜだろう? 通ったことのない道に入るのも苦手だった。道に迷うこと自体をたのしめばいいのだと頭ではわかっている。でも、それは無理で、スマホで地図を見ながらではないと安心できない。そういう自分だから退屈なのかもしれない。でも、一回入ることができた店には何回も行ってしまう。

 昔、ツイッターで知り合って好意を持っていた女の子とはじめてリアルで会って、はじめてサイゼリヤに入った。池袋のサイゼリヤだった。辛味チキンがおいしいのだ、とその子は言っていた。ぼくは、サイゼリヤにはあまり入ったことがなかった。でも、なかなかいいとおもったのだろう。その女の子にフラれた後もサイゼリヤには入り続けた。あの子はおれにサイゼリヤに入る習慣だけを残していったな、みたいなことをおもった。ワインの大きなデカンタを飲み、酔いつぶれて泣いたりしていた。
 また、昔、仲のよかった丸メガネと髭の似合う元友だちは喫茶店好きで、彼と一緒に行動しているといろんな喫茶店に入ることができた。あるとき、映画を見る前に寄った喫茶店が気に入ったので、その友だちに絶交された後も、ぼくはその喫茶店には通い続けた。その喫茶店は、この前、潰れてなくなってしまった。居心地のいい喫茶店だったのに残念だった。
 ところで、そのときの元友だちと見た映画はタランティーノ監督の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』という映画だった。とてもかっこいい映画で、ぼくが映画館で見た映画のなかでもかなりいい方の映画だった、とおもう。
 いま、その『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』はアマゾンプライムに来ている。きょうは休日だったので『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』をもう一回見ようかとおもった。でも、見られなかった。なぜかと言うと、ぼくは映画を見るのが苦手だからだ。

 最近、気がついたのは、ぼくが自然に馴染んでいるかんじがするのは活字の本と、あとは音楽だけなのではないかということだった。映画、漫画、アニメ、ドラマなども見ようとおもえば見られるけれどなんとなく遠いかんじがして馴染まない。たとえば、疲れているから漫画を読もう、とはならない。映画、漫画、アニメ、ドラマなどに触れようとすると、胃が硬く強張るのをかんじる。普段、やり慣れていない新しいことに挑戦しようとするときにかんじる胃の強張りだ。
 そうは言ってもいつまでも馴染んだことばかりしていると、自分の世界が広がらないとおもって、たまに元気なときは気力を振り絞って新しいことに挑戦することもある。

 小説を書くことに挑戦しようとおもっているのに、なかなか書きはじめられない。もう、一年くらいずっと小説を書こうとおもい続けている。それなのに書けない。自分はどこかで小説を書きたくないとおもっているのかもしれない。そういう気がしてきた。それはやはり小説を書く、ということが自分にとって新しいことだからだという気がする。新しいことをがんばってやる。それも、小説を書くというような作業は毎日のコツコツとした繰り返しが必要だ。一日に一回、三十分くらい時間をつくって、新しいことに挑戦する。苦手なことに毎日挑戦する。その精神的負担が、ぼくの小説が書けない理由の一つなのではないだろうか?

 きょうは、結局、映画は見ずに散歩をした。映画よりは散歩をする方が自分にとっては楽だった。
 いつもの道を歩いて、いつもの駅で電車に乗って、隣の駅で降りた。その駅は、ぼくの住んでいる近辺の街では栄えている方だ。きょうは時間に余裕があったのでいつもとはすこし違ったことをした。だいたいいつもぼくは散歩のときは駅の周りをぐるりと一周するんだけれど、きょうは逆回りした。いつも歩く道を逆から歩いた。これはなかなか新鮮なかんじがするとおもった。それに道に迷うこともない。
 途中でブックオフに入った。ブックオフに入って本を選ぶ、というようなことも気力が充実していないとなかなかできない。本の持つエネルギーに押しつぶされてしまいそうになるので、それを跳ねのけるだけの気力が必要なのだ。きょうはそれがあった。多和田葉子の『地球にちりばめられて』と今村夏子の『むらさきのスカートの女』を買った。

 そういえば、あしたは北海道に住んでいるフォロワーが東京に来るので、いっしょにスシローに行く約束をした。さっき電話をしたら、あしたは旅行なのになかなかお風呂に入れないと言っていた。フォロワーはうつなのでお風呂に入るのが苦手なのだ。

phaのサイン

 ぼくは緑内障ではないことがわかった。それは嬉しいことだった。でも、そうなると、なぜ、緑内障ではないのに、緑内障だと言われていたのだろう、とおもう。ぼくはこの二年か三年の間、毎日、目薬をさしていた。そして、いつか自分は眼が見えなくなるのだという恐怖をかんじながら過ごした。

 緑内障ではないのがわかったのはセカンドオピニオンをしたからだ。いや、正確にはセカンドオピニオンではなかった。ただ、他の病院で診てもらったというだけだ。セカンドオピニオンというのは、いま掛かっている医者が集めたいろんなデータを、他の医者が参考にしてはじめてセカンドオピニオンと言うのだそうだ。ぼくは勝手に他の病院に診てもらったので、それはセカンドオピニオンとは言わないらしい。
 インターネットで優秀だと評判の眼科に行ったのだけれど、その病院は遠かった。若くて、眼がギョロリとした性格に問題がありそうな男の先生が診てくれた。先生は、いま書いたようなセカンドオピニオンの定義について説明してくれた。だから、これはセカンドオピニオンではないのだ、ということだった。先生の後ろで、中年の女性看護師が、もっともだというような顔をしてウンウンと頷いていた。それに続けて先生は緑内障の治療は通えることが大事なので、当院はあなたにとっては遠すぎると言った。
 仕方がないので、「それじゃあ、ぼくの住んでいる辺りでいい病院はありませんか?」と聞いたら、しばらく考えていたけれど二つ教えてくれた。そのうちの一つには緑内障の専門の先生がいるということだった。ぼくがメモをしようとしていると、看護師さんが先に紙に病院の名前と電話番号を書いて、それをくれた。「私の汚い字ですみません」と看護師さんは言った。ぼくは「いえいえ、ありがとうございます」と答えた。
 結局、その先生には逆さまつげを抜いてもらっただけだった。「また、どうせ生えてくるけれどね」と言われたけれど、抜いてもらうと眼が明らかに楽になったのでよかった。

 教わった眼科にはその一週間後に行った。家のある駅の、隣の駅まで電車で行って、そこから少し歩いた。
 その眼科にはきれいな看護師さんが多かった。それに設備も充実しているように見えた。待合室にはデカいテレビがあって、テレビにはジャニーズ事務所の会見が映っていた。そこでいろいろ検査した結果、ぼくは緑内障ではないことがわかった。先生は説明しながら、ニコニコした。(よかったですね)ということだろう。
 ぼくは解放されたのだ。それが十月二日のことだったんだけれど、ぼくは、きょうは天使の日だとおもった。天使の日は十月四日なので、それは間違いだった。でも、なぜかきょうは天使の日でいいことがあった、とぼくはおもい込んでしまった。

 その日の一日前の日曜日(十月一日)にはSちゃんと高円寺で遊んだ。Sちゃんと入った喫茶店には見覚えがあった。ここに来るのははじめてではなかった。それは三年か、四年くらい前、元友だちと高円寺で酒を飲んだ夜に来た喫茶店だった。自分がはじめて来た場所にいるつもりだったのに、見覚えがあって驚いた。
 その喫茶店には、白髪のお婆さんがいて、裸婦の銅像があって、クラシックが鳴っている。そのクラシックの何となく迫力のあるかんじもあって、ホラーな雰囲気があったのを覚えていた。そのときは酔っ払っていたし、夜だった。おもいだしてきた。
 Sちゃんとは窓際の席に座った。ぼくはオレンジジュースを頼んだけれど、それは百パーセント果汁ではなかったような気がする。Sちゃんとは詩集を交換した。ぼくは熊野ミツオベスト詩集「余生」をあげて、SちゃんはSちゃんの短歌と詩の本をくれた。

 ちなみに、その日の目的はそぞろ書房のpha展に行くことだった。phaは、元日本一のニートで、いまは作家、エッセイストをしている。ぼくはphaの書く文章のファンだった。実はぼくは文学フリマ東京でも一度、phaに会っていて、そのとき、phaの日記『曖昧日記1』を買ってサインをもらった。そのときのサインは蟹の絵だった。「まいたけさんへ」と書いてもらった。
 そぞろ書房に着いてなかを見てまわった。点滅社のひとたちもいた。こうやって狭い空間にいっしょにいても相手は気がつかないけれども、ぼくたちはツイッターの相互フォロワーだった。いつ名乗ろうかとタイミングを見計らっていた。そぞろ書房には、ぼくのツイッターでのフォロワーの同人誌や個人誌がけっこうあった。熊野ミツオベスト詩集「余生」もできれば置いてほしいとおもっていたけれど、それがうまく言えるかどうか自信がなかった。
 Phaの描いたゆるいかんじのイラストや、日記のなかの言葉が壁に貼ってあるので、それを見ていた。
 そのとき、ドアが開いてpha本人が入ってきた。Sちゃんが「あ、Phaさんが来たよ。まいたけさん!」と言った。ぼくはphaの『曖昧日記2』を持ってレジに向かい、それを買った。それから、phaに話しかけた。「ファンです」とぼくは言い、「サインしてください」と言って買ったばかりの『曖昧日記2』にサインをもらった。「ぼくはひらがなでまいたけと言います」と話した。Phaは「舞茸はいいですよね。さっき食べました」と言ってきたので、ぼくは「天ぷらですか?」と聞いたら、そうだと言っていた。話が途切れた。今回のサインは蛇が自分で自分の尻尾を咥えているイラストだった。
 ぼくは何か言おうかとおもって焦ってしまって「がんばってください」と言ってしまった。Phaはがんばらない生き方をしているところがいいのに、そのphaに「がんばってください」と言ってしまうなんて失敗だった。ぼくは逃げるようにそぞろ書房を後にした。
 Sちゃんと駅まで歩きながら、自分の失敗を嘆き、「恥ずかしい」と言っていたら、Sちゃんは「大丈夫ですよ」と慰めてくれてやさしかった。

 それが、この前の話だ。最近は夜、寝る前に『曖昧日記2』を読むのがたのしみだ。『曖昧日記』には3もあるのでそれもぜひ買って、本人にサインしてもらいたいけれど、次は変なことを言わないように事前にいろいろ考えてから話しかけたい。

祝日のファミリーマート

 きょうは祝日らしい。ぼくには祝日はない。きょうはたまたま世間の祝日とぼくの休日が一致した日だ。きょうが何の日なのかも知らない。
 コメダ珈琲店に行こうかとおもっていたけれど、祝日なのでやめることにした。混んでいるコメダ珈琲店に行ってもリラックスすることはできない。ほんとうは行きたかったけれど我慢した。代わりに近所のファミリーマートまで行った。

 ファミリーマートにはひとがたくさんいた。ファミリーマートのなかだけではなくて、外にまでひとがいた。十代の若者たちが店の駐車場や横手の通路にたむろしていた。ぼくはあまり目を合わせないように気を付けて店のなかに入った。
 店のなかにもひとが大勢いた。肌のよく日に焼けた中年の小太りのヤンキーみたいな男が小学校の高学年くらいの娘を連れて買い物をしていた。小学三年生くらいの男の子もいた。
 店内には若い女性が多かった。子どもも多かった。ヤンキーの子どもみたいなかんじの子どもだった。
 ぼくは買い物カゴを持って彼らを避けながら店のなかを歩いて、アイス売り場の前で立ち止まった。どのアイスがいいか五分くらい迷った。その間、ぼくの近くに子どもが来て、同じようにどのアイスにするかで悩んでいるようだった。ぼくはパルムにすることにした。
 ファミリーマートのなかは窓ガラスから入ってくる光に満ちていて明るかった。祝日なんだな、というかんじがした。祝日だからこんな風にファミリーマートが混んでいるのだとわかった。ファミリーマートでこの混みようなので、コメダ珈琲店はもっと混んでいるだろう。コメダ珈琲店に行かなくてよかった、という気がした。
 ぼくはホイップクリーム入りのドーナツとパルムとビールの350缶を買った。五百四十円くらいだった。そして家に戻ってきて、コーヒーをいれてドーナツを食べた。

 フォロワーからLINEで電話のお誘いがあった。最近、フォロワーはコロナに罹って、その後遺症で精神が不安定になっているので、ぼくによく電話をかけてきた。精神が不安定になって、心細いときはひとに電話をしたくなる気持ちはよくわかる。

 フォロワーは北海道に住んでいる四十代の女性だった。神聖かまってちゃんのライブに行く予定だったのだけれど、コロナに罹ったせいでライブに行くことができなかったと言っていた。でも、最近は神聖かまってちゃんよりもドレスコーズにハマっているようだった。
 フォロワーは十月に東京に遊びに来るので、そのときはスシローに行く約束をしていた。フォロワーは寿司のネタではサーモンが好きだと言っていた。回転寿司に行ってもサーモン関係のネタの寿司ばかり食べるそうだった。そういう風に好みがはっきりしているのもいいな、とぼくはおもった。
 フォロワーとは四十五分くらい電話で話して、電話を切った。いくらフォロワーは精神が不安定だと言っても、そんなにずっとは電話をしていることはできない。こんな風にして、フォロワーのことをあまりブログに書きすぎるのもどうかとおもう。

 きょうはそんなに忙しくしていたわけではなくて、ボンヤリしているうちに時間が過ぎていった。でも、布団を干すことはできたし、レシートをまとめて家計簿もつけたし、部屋の隅にゴチャゴチャと置いてあったゴミを少し片づけることもできた。でも、もう夕方になってしまった。空が暗くなってきている。

 きょうの夜は映画が見られるのではないかという気がする。映画を見るのには気合いがいるし、生活のなかでまとまった時間がある必要があっていろいろな流れが合う必要がある。
 アマゾンプライムを見てみると、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』が見られるようになっていた。この映画は元友だちと映画館で見た思い出の映画で、すごくかっこいい映画なので、好きな映画だった。『ア・ゴースト・ストーリー』も見られるようになっていた。この映画は幽霊のラブストーリーで、以前見て好きだとおもった映画だった。他にも『バグダッドカフェ』や『ターミナル』もきていた。最近、アマゾンプライムは優秀だとおもう。
 今夜は『ターミナル』を見ようかとおもう。

 二日あった休日はそろそろ終わりに近づいている。休日にはなるべくゆっくり過ぎて欲しいといつもおもっている。

 きのうは実家に行っていた。実家に行くにはいろんなルートがあるけれど、あえて遠回りして、たくさん歩かなくてはいけないコースを選んだ。少し歩きたかったのだ。
 九月になってすこし暑さは和らいだけれど、相変わらず暑かったので、歩いていると汗まみれになってしまった。ぼくは短歌を考えながら、郊外の住宅街を歩いた。両側には一戸建ての住宅が並んでいるだけで、他にはとくに何もない道だった。途中で芙蓉の花があったのでスマホで写真を撮った。そんな風にして短歌を考えながら、何にもない郊外の住宅街の道を真っすぐに歩いたことはいまでも印象に残っている。

 実家では晩ごはんをご馳走になった。献立はカツオのお刺身、白菜と里芋の煮物、レバー、揚げとピーマンの甘辛煮と白いごはんだった。らっきょうもあった。デザートにはいい葡萄を食べた。ピオーネという品種の葡萄だった。皮をすこし剥いて、口に入れて皮から実を吸い出すと、甘酸っぱくておいしかった。
 実家めしは自分にとって以前は日常だったはずなんだけれど、ひとり暮らしも十年近くなったいまでは非日常のエンターテイメントになってしまった。