ミツオ日記

自称詩人 熊野ミツオの日々

なぜぼくの書く文章は退屈なのか?

 ぼくは枕元に白い兎のぬいぐるみを置いている。朝になるとカーテンの隙間から射し込んでくる光がその兎のぬいぐるみに当たる。ぬいぐるみはひとの孤独を紛らわすという話がある。だから、ぬいぐるみを買ったのだ。最近は思考がねばつくようなかんじがする。それは炊き立てのモチモチしたごはんのようだ。文章を書きはじめるといろいろな考えが枝分かれしていって、どれも遠くまで進まず、すぐ細くなって消えていく。これでは何も考えていないようなものだ。ぼくが、文章を書くのが下手になってきたのはそのせいもあるとおもう。

 朝になると、白い兎のぬいぐるみを朝の光が照らす。ぼくはそれを見て意識を取り戻す。「おはよう」と言ってみる。「おはよう」と言うことで、自分はもう起きるのだと自分に納得させようという作戦だった。ぼくはひとり暮らしなので誰かに向かって「おはよう」と言ったわけではない。隣にいっしょに一夜を過ごした女の子が寝ているわけでもない。ただ純粋なひとりごとで、「おはよう」と言ったのだった。最近はひとりごとを言うのが癖になってしまった。それだけぼくは寂しいのだろう。

 朝、目を覚ましてから最初にすることは、緑内障の眼圧を下げる目薬をさすことだった。朝、起きてすぐと、夜、寝る前に必ず目薬をさすことで眼圧は下がり、緑内障の進行を食い止めることができる。目薬をさしてからスマートフォンツイッターを開くのも日課だった。そして、「おはよう」とツイートするのだった。

 ところで、ぼくはこうして自分が朝、起きたところから文章を書きはじめてしまったが、はっきり言って、そういう文章の流れにはウンザリしている。文章を書いていて気がついたことは、文章には二通りあって、一つが日記的に自分に起きた出来事を時系列に沿って書いていく文章で、もう一つがエッセイ的に自分の考えたことについて書いていく文章だということだった。ぼくは、朝、起きるところからこの文章を書きはじめたので、この文章はどちらかと言うと前者に属するはずだ。

 他にも、ぼくの文章が、ぼくをウンザリさせる理由には大きくわけて三つある気がする。一つ目は、毎日が似たようなことの繰り返しなので日記的な文章を書いていても自分でおもしろくない、ということ。二つ目は、文章が時系列に沿って進行するということ、そのこと自体がなんとなくめんどうくさくてかったるいということ。三つ目は、自分の頭が悪いせいでエッセイ的な文章で自分の考えたことを書いていても、その意見に鋭さがないのが自分でもわかり、自分で自分に退屈するということだった。

 最近のぼくはまとまった文章を書こうとする度に自分の文章の退屈さ、そのこと自体について書きたくなってしまう。つまり、いまのように。なんと言うか、そのこと自体がさらに文章から勢いを奪い、ぼくの文章を退屈にする。それは自分でもわかる。だから、なるべく何気ない調子で、自分の書く文書の退屈さには触れずに話を進めようとしていた。でも、ダメだった。

 せっかく枕元の白い兎のぬいぐるみと、それを照らす朝の光について書いていたのに、いつのまにかこういう文章になってしまった。次の段落から、ぼくはもう一回、気を取り直して朝のことを書こうとおもう。どうすれば、おもしろい文章が書けるか、精一杯、やってみるつもりだ。

 ぼくは朝、仕事に行く前に音楽を聴いて元気を出すことにしている。最近はカネコアヤノを聴くことが多い。カネコアヤノを聴くと元気が出る。なかでも、『祝祭』というタイトルのアルバムを聴くことが多い。その『祝祭』のなかの一曲に『エメラルド』という曲がある。その歌は「朝はエメラルド。すごい早さで過ぎていく」とはじまる。素敵な歌詞だとおもう。朝のうつくしさを宝石のエメラルドにたとえたところがいい。朝、聴くのにピッタリの一曲だとおもう。

 家を出る時間になったので、いつものように右のポケットに鍵と定期券、それとハンカチを入れて、左のポケットにはスマートフォンを入れた。マフラーを巻き、上着を羽織ってから、リュックサックを背負う。ゴミの袋を持って外に出る。ぼくの住んでいる団地の部屋は十一階でけっこう高いところにある。エレベーターに乗って地上に降りるのにも時間がかかる。

 きょうは左隣の部屋のお爺さんとエレベーターでいっしょになった。このお爺さんはなんとなく色気のあるカッコいいひとだ。だから、ぼくはすこし緊張して「おはようございます」と言った。お爺さんは何も言わなかった。挨拶を受け取ってもらえなかった。そういうときもある。地上に着くとお爺さんは自転車に乗ってどこかに去った。

 ぼくは電車に乗って会社のある駅で降りた。会社に着くと、入口のところで同僚のおばさんが掃き掃除をしていた。ぼくはそのおばさんが苦手だった。いつも愚痴っぽくて言わなくてもいいようなことばかり言うので、嫌なババアだとおもっていた。でも、無視して通り過ぎるわけにもいかないので、嫌々「おはようございます」と言った。ババアは何も言わなかった。無視されてしまった。ぼくが嫌々、挨拶をしたのがバレたのかもしれない。でも、嫌でも同僚なのだから挨拶くらいすればいいのに、とおもう。

 きょうは二回連続で挨拶を無視されてしまったな、とおもった。そのとき、このことをブログに書こうとおもった。

 ここまで書いてきて、この文章がおもしろいのかどうかわからない。やはり、あまりおもしろくないのかもしれない。それなら、もう、文章なんて書かなくてもいいのかもしれない。おもしろくないならおもしろくなくてもいいという考えもあるかもしれない。でも、これからもおもしろい文章を書くための研究を続ければすこしはおもしろくなるかもしれないので、たのしみにしていてほしい。