ミツオ日記

自称詩人 熊野ミツオの日々

すべて順調

 新しい障害者手帳を受け取った。一つ前の障害者手帳の証明写真のぼくはまだ四角いメガネをかけていて、眉毛を整えていなくて、おでこが隠れない髪型をしていた。新しい障害者手帳のぼくは白いワイシャツを着ていて、丸いメガネをかけていて、太っている。とくに大きな変化はないような気がする。でも、一つ前の写真より今回の写真の方が気に入っているので、それはそれでいいとおもう。

 

 さっき、探し物をしていて机の引き出しを開けてなかを探っていたら、むかし書いた詩の原稿を見つけた。クリアファイルにコピー用紙の束が挟まっていた。それを読んだ。谷川俊太郎の影響がかんじられるけれどニセモノにしても出来はよくないとおもった。自分の存在意義って何だったんだろう。詩はぼくのライフワークのはずなのに、と暗い気持ちになった。でも、いいとかんじる詩もいくつかあった。

 そのコピー用紙の束は二十代後半くらいの詩だった。いま、ぼくは三十四歳で、もうすぐ三十五歳になる。

 

 ぼくは、三年半前にサラリーマンを辞めて五カ月くらい無職をした。それから、A型作業所で働いた。その作業所には三年以上勤めた。そして、こんどから新しい職場で働くことになった。あるお店で店員として働くのだ。

 職場は若いひとが多そうだとおもっていたけれど、きょう紹介された同僚は若い女の子が多かった。そのこと自体はいいことだとおもう。でも、ぼくはもうすぐ三十五歳になるので、そんな風に若い女の子に鼻の下を伸ばしていられない、という気がした。いま、書いていておもったんだけれど、べつにいいような気もする。鼻の下なんて伸ばせばいいのだ。

 ぼくのいままでの職場や作業所には魅力のある若い女性がほとんどいなかった。職場には中年の女性か、お婆さんしかいなかった。この前まで働いていた作業所には地味でぼさっとしたかんじの女のひとしかいなかった。だから、今回の職場はいい意味で緊張感があるとおもう。しかし、どちらにせよぼくはもうおじさんなのだ。

 

 最近は絵日記を描くのにはまっている。ぼくは、詩を書くのがライフワークなんだけれど、もっと軽い気持ちでたのしめる趣味を探していた。小学生の頃、絵を描いたり、漫画を描いたりするのが好きだった。無趣味なひとが趣味を見つけるためには、子どもの頃に好きだったことをやってみるのがいいという話を聞いて絵を描くことにした。

 最初は何を描いたらいいのかわからなかった。それで考えてはじめたのが絵日記だった。ジャポニカ学習帳の「えにっき」をアマゾンで何冊か買った。描きはじめて一年くらい経つ。途切れ途切れに続いている。描けた絵日記はスマホで撮ってツイッターに上げている。画力が上がったと言われることも増えた。絵日記は順調だ。

 

 この前、『ずぶ濡れて犬ころ』という映画を見た。住宅顕信という自由律俳句の俳人の映画だった。

 

 最近の天気がすごくいいな。晴れてはいるんだけれど、薄曇り、という状態が多くて、冬なんだけれど、光のなかに春がかんじられる。ああ、春なんだな。

 ぼくは季節のなかでは春は好きではない。春は花粉や砂埃、虫などの季節だからだ。でも、もしかすると、このままいい気持ちが続けば、春のことも好きになれるかもしれない。

 いまの天気の何がいいかというと、とにかく穏やかなところだ。ベランダから外の景色を見ていると、なんだか泣けてくる。おもいかえすと、こういうふうに天気に感動したのは、冬の初めの頃の夕焼けのとき以来かもしれない。あの頃は日が沈むたびにいちいち心を動かされていた。

 

 ぼくはこの文章を何回かに分けて書いている。以前は、インターネットに日記のような文章をのせることがたのしみだった。でも、いまは違う。飽きたのだ。

 以前のぼくは、自分で自分の文章がおもしろかったから、たのしく文章を書いていた。でも、いまのぼくは、自分の書く文章を無条件におもしろいとはおもわない。自分で自分のことがつまらない。それは、大人になったということかもしれない。

 いまも、ぼくは書きながら覚めている。自分に酔っていない。いままでは自分に酔っていたのだろうか。

 詩には飛躍がないとおもしろくないだろう。でも、それはなんなんだろう。昔の有名な詩人は、「詩は舞踊で、散文は歩行だ」と話したらしい。この言葉はすごく実感としてわかる。踊ってないと詩ではない気がする。

うまく言葉にならないことを、頭を絞って言葉にしている。これはいままでなかった感覚だ。そして、文章の細かいところが気になるので、書いては読み返して書き直している。

 

 ぼくが、お店のバックヤードの廊下を箒で掃いているとき、開けっ放しの扉の向こうの店内を幼い子どもが横切った。ぼくはそれを見て、なんとなく平和だとおもった。

 ぼくは、子どもとは縁のない生活を送っている。子どもは天使のような存在だと言うひともいれば、まだ理性の目覚めない利己的で醜い存在だと言うひともいる。その見解の差はどこからくるのだろう。

 

 お腹が空いたのでレトルトのカレーを冷凍してあったごはんにかけて食べた。きょうは休日で、いまはお昼を少し過ぎたところだ。いま、読んでいる本は高橋源一郎の『日本文学盛衰史』だ。

 目標の文字数を達成したので、この日記はここで終わります。