ミツオ日記

自称詩人 熊野ミツオの日々

ボンディに行った話

 Sちゃんと神保町で遊んだ。ぼくは神保町にはほとんど来たことがない。神保町はカレーと古本屋の街、というイメージだった。以前、ユーチューブでピース又吉がそう言っていた。はるかむかしに、一度だけ神保町に来たことがあるような気がした。そのときは柴田聡子のライブがあったんだっけ、あれはどこか別の場所だっけ。忘れてしまったな。ぼくはカレーをたのしみにしていた。古本よりはカレーをたのしみにしていたのだ。ボンディという有名な店でカレーを食べることにした。

 ぼくはインターネットで調べものをするのも、地図を読むのも苦手だった。Sちゃんだってそういうことが得意なわけではないだろう。でも、だいたいのことをSちゃんに任せてしまった。ボンディの場所もよくわかっていなかった。わかっていたのは、ボンディではカレーの前にふかしたじゃがいもを二つ出してくれるというようなことだ。それは調べて知っていた。カレーの前にじゃがいもを出してくれるなんて気が利いている。

 

 Sちゃんとぼくは駅の出入り口で待ち合わせして、ボンディまで来た。Sちゃんは短歌が上手で占い師を目指している二十代後半の女性で、いまは彼氏と同棲している。そろそろ結婚の話も出ているようだ。Sちゃんとはツイッターで知り合って、もう三年くらい経った気がする。はじめて会ったとき、Sちゃんはけっこう髪の毛が長かったけれど、いまは髪の毛は短めで少し茶色に染めている。おもえばSちゃんはあか抜けたとおもう。それに比べて、ぼくはぜんぜんあか抜けないし、少しずつ太ってきている。ぼくには何もおもしろいところはないのに、Sちゃんのような素敵な女性に遊んでもらえるのは嬉しいことだ。

 

 ぼくたちはボンディでカレーを食べるために行列に並んだ。何かを食べるために行列に並ぶなんてことは、ぼくには滅多にないことだ。

 Sちゃんは少し緊張しているようだった。それはぼくも同じだった。お互いにいろいろ話題を考えて、それを口にして沈黙をやり過ごした。行列に並びながら、お互いの緊張を解くために話題を考えて、それを話すのはけっこうたいへんだった。Sちゃんは「ねむらない樹」という短歌の雑誌を見せてくれた。笹井宏之賞の結果発表がのっていて、Sちゃんも応募したらしいけれど、ぜんぜんダメだったみたいだった。ぼくはキンドルの話をした。この前、給付金で十万円もらったから、それでキンドルを買おうか迷っているのだ。

 ボンディからはいい匂いがしていて、期待が高まった。でも、実を言うとぼくはお腹が空いていなかった。それなのに、Sちゃんに「お腹は空いていますか?」と聞かれて、「空いてます」と答えた。実は朝、謎に張り切って生野菜のサラダをつくって食べたんだけれど、それがおもったより腹持ちがよくてぜんぜんお腹が空かないのだ。いつもはそんなことはしないのに。Sちゃんは普通にお腹が空いているみたいだった。

 やがて店員さんが注文を取りに来たので、ぼくはチキンカレーの中辛を頼み、Sちゃんは悩んだ末にビーフカレーの辛口に追いチーズを頼んだ。二十分くらい並んで、ぼくたちは店内に入った。店内にはけっこうひとがいた。ぼくはツイッターのフォロワーがどこかにいるのではないかという気がして、店内を見回した。なんとなくフォロワーのように見えるひとはいたけれど、そんなことはわからない。

 じゃがいもの皿が来てしばらく経って、カレーが来た。ごはんとカレーは別々になっていた。ごはんの真ん中にはちょっとチーズがかかっていて、漬物とカリカリの梅干しがついていた。カレーにカリカリの梅干しがついているところに独自のこだわりがかんじられる。ルーには大きなチキンが入っていた。ぼくはせっかく別々になっていたカレーのルーを一気にごはんにかけてしまった。

 ぼくたちは「おいしいですね」と言い合いながら、カレーを食べた。でも、ぼくは、そこまでおいしいとおもっているわけではなかった。有名なカレー屋のカレーだから、おいしいと言っている、という面が強かった。これをおいしいと言わなければ、自分は舌がバカなのだとおもわれる、という見栄があった。決して、おいしくないというわけではないけれど、その良さが自分にはあと一歩わからないのだった。実際に、ぼくは舌がバカなのだ。Sちゃんはおいしそうに食べていたとおもう。ぼくは舌がバカだからわからないけれど、ボンディのカレーはおいしいらしい。

 カレーを食べ終わって、席を立ったとき、右側の壁がモノクロ写真になっているのに気がついた。それは有名な写真家の森山大道の有名な犬のスナップ写真だった。ぼくは、Sちゃんに、「これは森山大道ですね。気がつきませんでした」と話した。すごく大きな写真が側にあったのにぜんぜん気がつかなかったのが不思議だった。神保町のボンディには森山大道のようなセレブも来るのかもしれない。本人が写真を引き伸ばして、ボンディに寄贈したのかもしれない。これは想像なので、実際のところはわからない。

 

 ボンディを出た後、ぼくたちは商店街を歩いた。ぼくたちはカレーを食べたせいで喉がガラガラしていて、たまに咳き込んだ。

 Sちゃんの提案で、写真集や画集のある古本屋に入って、写真集を見た。いろんな写真集があった。Sちゃんは石内都の写真集を見つけて来て、「好きなんですよね」と言っていた。趣味がいいなあ、とぼくはおもった。ぼくは、もともと学生の頃は写真の勉強をしていたということもあって、ちょっと見栄を張りたくなって、知っている写真家の写真集をSちゃんに教えた。しかし、ぼくが気になっている写真集はなかった。Sちゃんは、猫の写真集を出してきて「かわいい」と言いながら見ていて、ぼくも見ていたら、「犬派でしたっけ?」と聞かれたので、「犬派だけれど、猫が嫌いなわけではないよ。猫、かわいいよね」と答えた。しばらくすると、Sちゃんは「絵を見てきます」と言って、画集のある方に行ってしまった。ぼくはしつこく写真集の棚の辺りで、自分の好きな写真集を探していた。でも、なかった。Sちゃんの方に行くと、「絵には興味がないですか?」と聞かれたので、「そんなことないですけど」と言った。何でそんな風に言うのかわからないので、ぼくのツイッターのタイムラインには画家が多いのだ、という話をした。後で考えてみると、Sちゃんは画集の棚の方にぼくがなかなか来なかったから、ぼくが絵には興味がないとおもったのだろう。

 

 ぼくたちは喫茶店でゆっくりするためにまた歩いた。何軒か見て回って、そのうちの一軒に入った。アイスコーヒーを注文した。

 ぼくは喫茶店に入ったらSちゃんに絵日記を見せるつもりだったので、そうした。ぼくの絵日記を見て、興味を示さないひとはあまりいない。いままでの経験ではそうだった。でも、Sちゃんはあまり絵日記に興味を惹かれなかったみたいだった。「熊野さんの絵日記を見たから、わたしのも見てください」と言って、笹井宏之賞に応募したという短歌五十首を見せてくれた。ぼくはSちゃんのスマートフォンを手に取って、それを読んだ。正直に言って、いきなり心の準備もなく、五十首の短歌を読むのはしんどいし、それについていいかんじの感想を返さなくてはいけないというプレッシャーもあった。ぼくは集中した。そして、なんとか感想らしい感想を言った。それはつまり、一首一首の短歌のテーマが独立していて、それぞれにつよいイメージ力があるというような内容だった。Sちゃんは、それは、実は自分がこの連作をつくるときに意識したことなのだ、と話してくれたので、ぼくは少しホッとした。まったく見当違いのことを言ったわけではなかったのだ。それから、Sちゃんは「ねむらない樹」を出して、笹井宏之賞の受賞作品を見せてくれた。「ノウゼンカズラ」というタイトルだった。ぼくはまた集中して、その連作を読んだ。そして、徐々に引き込まれていった。この日、いちばん、何かに興味を惹かれたのはこの「ノウゼンカズラ」という連作だったのかもしれない。かなりよかった。何がいいのかうまく言葉にできないけれど、「ノウゼンカズラ」には犬と妹がよく出てきて、どこかそれぞれ意外性があって、作者はたぶん、犬と妹が好きなのだろうとかんじた。

 

 ぼくたちはアイスコーヒーを飲みながら、いろんなことを話した。最初は緊張していたSちゃんもリラックスしているように見えた。リラックスしているSちゃんはいいかんじだな、とおもった。一方のぼくは目がしばしばしていた。ドライアイが酷くなってきていた。そのことを言った。「きょうは花粉が酷いのかな?」というようなかんじだ。でも、花粉はあまり飛んでいないと前日の天気予報で見たのをおもいだした。

 ぼくたちはアイスコーヒーの後、それぞれ一杯ずつ梅酒を飲んで、それから駅まで行って解散した。まだ早い時間だったけれど、この後、とくにすることもおもいつかなかった。

 ぼくの目はSちゃんと解散してからしばらくすると、しばしばしなくなった。ひとは緊張すると、喉が渇いたり、目が渇いたりするらしい。Sちゃんといっしょにいる間、ぼくは緊張していたのかもしれない。ぼくはSちゃんが苦手とか、そういうわけではなく、むしろ好きだ。それでも、誰かとこんなに長いあいだ話したのは久しぶりだったので、緊張して目が乾燥してしまったのだろう。ぼくはだんだん瞬きが少なくなってきた目で、電車から見える午後の景色を見ていた。