ミツオ日記

自称詩人 熊野ミツオの日々

熱海へ行った話

 ぼくは熱海に憧れていた。熱海はいい町だ、といろんなひとから聞いて、そうなのだとずっとおもっていた。去年から五百円玉貯金をはじめた。これが貯まったら熱海に行こう、とおもった。そして、半年以上の時間が過ぎた。新しいバイト先で働きはじめて、その仕事に慣れてきて生活に新鮮味がなくなってきた。春が来たせいか、なんとなく身体がだるくて、調子が悪い。そんなとき、ぼくは一日、休暇をもらった。これで熱海に行ける、とぼくはおもった。五百円玉貯金を数えてみると二万六千円貯まっていた。いよいよこれで熱海に行くことができる。

 

 ぼくは品川から出る各駅停車の電車に乗った。電車のなかでは、小島信夫の『抱擁家族』を読んでいた。あんまり深く考えていなかったけれど、熱海にはなかなか着かなかった。スマートフォンで改めて調べてみると、熱海は終点で、まだ半分も来ていなかった。

 座っているのに疲れたので扉の近くに立って、『抱擁家族』の続きを読んだ。窓から見える景色がだんだん変わってきた。トンネルが多くなって、高い建物がなくなり、街並みがかわいいかんじになってきた。その街並みのよさに熱海が近づいていることをかんじた。

 しばらくすると、海が見えた。反射的に頭に「春の海ひねもすのたりのたり……」という言葉が浮かんだので、調べてみるとそれは蕪村の俳句なのだそうだった。まさにいまの状況は「春の海ひねもすのたりのたりかな」であることだな、とぼくはおもった。

 きょうは、午前中は天気が崩れていたけれど、午後にかけて、回復してくるという予報だった。穏やかに晴れた空と光る春の海、とてもいいかんじだ。

 

 熱海に着いたので、まずは昼ごはんを食べることにした。熱海では回転寿司でも新鮮な海鮮が食べられる、とインターネットに書いてあった。磯丸という回転寿司まで行くことにした。ぼくは、いつか北海道の回転寿司で新鮮なネタの寿司を安く食べるという夢があった。その夢は叶いそうにないけれど、新鮮な寿司を出す回転寿司は熱海にもあるのだ、とおもった。

 ぼくは磯丸に入ったが、寿司が回転している様子はなかった。ぼくは勘違いで、回らない寿司屋に来てしまったようだった。カウンターの席に座った。上握りを頼むことにした。千二百円くらいだった。それに、あおさのお味噌汁と、茶わん蒸しを頼んでプラス三百円くらいだった。ぼくは回転寿司に来ても十五皿は食べてしまうほうだった。これで足りるのだろうか。

 寿司はきれいに並べられて出てきたので、記念撮影をした。何を最初に食べようか迷って、青い粒々が盛られた軍艦巻きを食べてみた。粒々がものすごくプチプチとしていて、とにかく新鮮なのがかんじられた。他の寿司ネタも普段食べているものより新鮮だった。身がしまっていて、味がしっかりしていたような気がする。とてもおいしい。茶わん蒸しはよく出汁が効いていて、底にちいさな貝柱が入っていた。

 最近のぼくは東京でも寿司をよく食べていた。それはスーパーの寿司や、チェーンの回転寿司のことが多かった。ぼくはメンタルの調子が悪くなると、寿司が食べたくなるという奇病に罹っていた。熱海に来たことで、ちゃんとしたおいしい寿司が食べられてよかった、とおもう。

 

 寿司屋を出たぼくは、すぐそこにあった商店街に沿って歩いた。商店街は明るい雰囲気があり、賑わっていた。歩いているのは若者が多かった。通りに沿って、椅子がたくさん置いてあって、一休みしているひとも多かった。今回の旅の目的はボンネットという喫茶店に行くことと、海を見ることだった。ボンネットは、三島由紀夫や、谷崎潤一郎がよく来ていたという話を聞いた。

 ぼくは長い商店街を下って行った。両脇には海鮮の食べられる店、饅頭や干物などの店が並んでいた。商店街を抜けて、さらに海の方に向かって下りて行った。早い桜が咲いていた。これは桜にしてはピンクが濃いから桃の花かもしれない。でも、ぼくは植物のことはあまり詳しくない。

 ぼくの前を白いティーシャツを着て、デニムのズボンを履いたカップルが歩いていた。ふたりとも白いティーシャツで、デニムのズボンだった。ふたりは手をしっかり繋いで、坂を下りて行った。ぼくは片手にスマートフォンを持って、ボンネットまでの地図を見ながらその後を歩いた。後ろから、すらりとした女の子がふたり歩いてきてぼくを追い越して行った。

 坂を下りきった辺りでまた、いろんな店が密集しているところに出た。その辺りにはちょっと洒落たかんじの海鮮レストランが多かった。若者やカップルがレストランの前に列をつくっている。海がすぐそこにあるのがわかった。

 ぼくはしばらく道に迷ったけれど、無事にボンネットにたどり着いた。でも、よく見ると扉の所に「ただいま満席です」と書かれた札が下がっていたので、後で来ることにした。ぼくはサンビーチに向かって歩いて行った。

 

 海はいつも、ぼくを落ち着かない気持ちにさせる。ぼくはサンビーチの砂浜を歩いた。歩きにくかった。海辺には若者の群れや、カップルしかいなかった。ぼくのように、ひとりで歩いているひとはほとんど見かけなかった。ぼくは海に来ても解放感のようなものを味わうことはない。海に来ても、たのしいという気持ちにはあまりならない。海に来たからという理由で、何か感動しなくてはいけないような気がして、それが窮屈なのだ。

 ぼくは砂浜から少し上がったところのベンチに座った。そして、そこでツイッターを開いた。スマートフォンの液晶は日の光のせいで見えにくくて、ツイッターをするのはたいへんだった。フォロワーがいつものようにそれぞれの日常を送っていた。それを見たとき、普段とは違う場所にいる自分をかんじた。きょうのような日帰りのささやかな旅行にも、非日常感はあるものだ。

 

 ぼくは海から戻ってきて、喫茶店ボンネットに入った。店員のお爺さんがぼくを気味悪そうに見た。ぼくは、普段はチェーン店にしか入らないが、たまに個人経営の店に入ると、「何だコイツは」みたいな眼付で見られる。なぜなのかはわからない。ぼくがあまりにも個人経営の店に入り慣れていないので、そういうオーラが出てしまうのかもしれない。あるいは、もともとぼくにはどこか気味の悪いところがあるのかもしれない。でも、ぼくはとくに他人と変わったことをしているつもりはないのだ。

 ぼくはアイスコーヒーを注文した。喫茶店ボンネットのなかは薄暗くて、陽気な雰囲気のジャズが流れていた。店の奥には大きな鏡があって、それがもともと細長い店のなかをさらに長く見せていた。ショーケースのなかには白雪姫の小人がいた。椅子は古くて、革張りだった。ぼくはそこに座っているあいだ、かつてないほどリラックスした。とても居心地がいいな、とおもった。いつものぼくはコメダ珈琲店によく行っているが、コメダ珈琲店より居心地がいいかもしれない。

 スマートフォンのバッテリーの残量が少なくなってきていた。旅行に行く前、支援者のTさんに、熱海に行くことを話したら、温泉に入れる宿を教えてくれた。そこに行って、一風呂浴びようかな、という気持ちもあったが、ぼくはどちらかというと人前で裸になるのが苦手な方だ。とくに太ってきてからは恥ずかしいという気持ちが強くなった。だから、温泉に入るのには気合いがいる。その気合いが自分にはあるのだろうか。そう考えると微妙だった。

 若者が三人、入ってきて、ぼくの前の方の席に座った。若者たちは店の中央にあるショーケースの中にあったティーシャツを試着させてもらっていた。若者たちは店員のお爺さんを「お父さん」と呼んだ。お互いに試着した姿を見せあって、「かわいい」とか、「でも小さくないか」みたいなことを言い合っている。店員のお婆さんが「最近の男の子はみんなカッコいいから」と、言いそうなことを言っている。ぼくはそれを少し離れた場所から見ていて、自分はとてもああいう風に気安くひとと話せないとおもった。

 喫茶店ボンネットは十五時で閉めるということだった。居心地がいいのでもっと居たかったけれど、ぼくはもう一度、サンビーチで海を見ようとおもった。海に来ることなんて滅多にないのだ。

 

 そうは言っても、ぼくはやはり海がとくに好きだというわけではない。でも、そのことを認めるのがなんとなく嫌だった。海をわかりたいという気持ちがあった。

 ぼくは海辺から上がる階段の途中に腰掛けて、ツイッターを開いた。ツイッターを見ながら海を見た。こういうときでもスマートフォンを手放すことができない。ツイ廃は海に来てもツイ廃だ、とおもった。

 若者たちが遠くの方で叫んでいる。お調子者が服を脱いで海に飛び込んだ。ここら辺には実際の話、若者しかいない。若者の群れとカップルしかいない。ぼくのようにひとりで海を見ているロマンチックな中年、みたいなかんじのひとはいない。若者向きの海なのかもしれない。チャラチャラした若者向きの安っぽい観光ビーチなのだ。ぼくが座っている階段の辺りにも男の子の集団が来て、半裸になって相撲をとりはじめた。全然おもしろくない、という気がした。

 それにしても海は大きな存在なので、その傍にいると疲れるということが言える。ぼくはツイッターに次のように投稿した「海よ、聞いてくれ。おじさんには恋人がいないんだ」。そろそろ時刻は十六時だった。家まで三時間はかかるので、帰ってもいい時刻だ。ぼくは海を後にした。

 

 来たときと同じ道を引き返した。熱海は街並みがやはりかわいいという気がする。ビーチの前のレストランが密集した辺りを抜けて、坂を上る。ツイッターのフォロワーに、熱海に行ったら干物を買うのがいいと言われたので、途中の商店街でサバの西京漬けを買った。街は誰もかれもが誰かと歩いていて、ひとりで歩いている人間がそもそも珍しい。熱海なんてひとりで来る場所ではないのかもしれない、とぼくはおもった。

 帰りの電車が発車する直前にスマートフォンの充電が切れた。それから、ぼくは各駅停車の電車に乗って、長い時間をかけて品川まで帰った。その間は、小島信夫の『抱擁家族』の続きを読んでいた。電車内は仕事帰りのサラリーマンが多かった。

 

 熱海は自分にとって憧れの町だった。でも、実際に行ってみるとそんなでもなかった、という気がする。熱海は良くも悪くも観光地で、ひとりで行くと寂しい、ということを学んだ。

 今回は熱海の表面だけをなぞって通り過ぎたのだ、とも言える気がする。熱海にはもっとマニアックで心惹かれるスポットもあるのだろう。しかし、残念なことにぼくにはそこまで深堀りするだけの力がなかった。これはどこに行ってもそうなのかもしれない。どこに行ってもぼくは表面を撫でるようなことしかできないのかもしれない。

 熱海に行った次の日、ぼくはバイトを途中で早退した。疲れていたのだとおもう。ちなみに、熱海旅行には一万五千円弱しかかからなかった。五百円玉貯金でじゅうぶん、熱海に行くことができるのがわかった。