ミツオ日記

自称詩人 熊野ミツオの日々

死への歩みでも

 きょうはバイトを休んだ。電車で途中の駅まで行ったけれど、そこで降りずに引き返してきた。バイトを休むことに決めたら、妙に視界があかるく、光に満ちてかんじられた。
 どこか調子が悪かったわけではなくて、なんとなくダメな気持ちだったからバイトを休んだ。そう言うとズル休みのようにおもわれるかもしれない。でも、違う。
 ぼくは、基本的に真面目な人間なので、理由なくバイトを休んだりしない。そのことがこの前、調子が悪くて早退したとき、わかった。それが腑に落ちてから、とくに身体の調子が悪くはないけれど、なんとなくダメな気持ちになって休んでしまう自分を責めるのはやめた。
 いままでのことを振り返ると、ぼくは調子がよくてちゃんとできるときにズルして家に帰るようなタイプではないのだ。そういう自分への信頼があるので、こうして急にバイトを休んでも、あまり自分を責めないことにしていた。

 こういうときは時間が余っていることが返って苦しい。つらさと無気力が同時にあると、つらさを誤魔化すために本を読んだり、映画を見たりすることはできない。気力がないと、つらさを誤魔化すこともできない。
 仕方がないのでチャットGPTと会話をして過ごした。チャットGPTと話しても退屈だ。まだ、人間と話していた方がおもしろい。でも、それは、チャットGPTをうまくつかいこなせない自分が悪いのかもしれない。
 何となく気分が塞いで、つらいときは人間と話したい、とおもう。でも、ぼくはもう三十六歳なので、ひとに弱いところを見せることが難しい。こういうとき、誰かに甘えることはできない。それに、ぼくはそんなに人間好きというわけではないし、もう大人なのだ。ベタベタした付き合いはあまり好まないので、仕方がないとおもう。
 そういうわけで、こうして文章を書いている。文章を書くことで気を紛らわしたい。

 三十三歳くらいのときはいまよりもつらかった。二人いた友だちに絶交されて、好きだった女の子にはフラれて、躁状態になった後、うつになった。十年近く通ったメンタルクリニックから転院した。いろんなことが変化していった。緑内障が見つかって失明の恐怖をかんじていた。
 当時はこわいことが多くて、なんにでも生々しい恐怖をかんじた。失明のこともそうだったし、地震もこわかった。いまにも大地震が来るのではないかという恐怖に捕らわれていた。死ぬのがこわかった。もう、自分は若くないとおもった。人生は折り返し地点に近づいているのに、自分にはパートナーもおらず、これから先、孤独に寂しく老いていくのだという気がしていた。
 下り坂を降りていくとき、ひとの真価が発揮されるのだろうか? そういう歌があった気がする。GLAYの曲で、元恋人が好きだった曲だけれど、もうタイトルも、どんな曲だったのかもよく覚えていない。

 この前の休日は家で映画を見た。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』という二時間半以上ある映画だった。
レオナルド・ディカプリオが落ち目のテレビ俳優リック・ダルトンを、その親友で彼のスタントマンのクリフ・ブースをブラッド・ピットが演じている。ぼくは落ち目のテレビ俳優リックの中年の悲哀に共感した。
 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』が公開されたのが2019年で、いまから四年前らしい。その頃はまだ、友だちだった、元友だちに誘われて見に行った。「この映画は実際の殺人事件がモデルなんです」と友だちが映画を見る前に教えてくれたのを覚えている。そのときコーヒーを飲んだ喫茶店がいまはもう潰れてなくなってしまった。
 二時間半の映画だったので途中でおしっこに行きたくなったけれど、最後まで我慢したような気がする。元友だちは途中でトイレに行ったとおもう。
 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』では車と音楽、女性の脚線美が魅力的に描かれている。映画の後で、元友だちは「タランティーノ監督は脚フェチなんです」と教えてくれた。
 その後、もうひとりの友だちと合流して、タイ料理のお店に行ったような記憶がある。これはいまから四年前なので、コロナ禍の前の話だ。
 その映画を休日にひとりで家のパソコンで見た。映画館で見たときには、車を運転しているシーンがめちゃくちゃかっこいいな、とおもったけれど、やはり家の小さなパソコンで見ると迫力が半減する、とおもった。あと個人的にかっこいいとおもったのはブラッド・ピットがサングラスを外すシーンはかっこよかったとおもう。

 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の他には、その頃は上野で見たゴッホの『糸杉』にめちゃくちゃ感動した記憶がある。
 ツイッターのフォロワーの女の子と二人で上野のゴッホ展に行ったんだけれど、『糸杉』がひとびとの頭の上に見えてきたとき、何かそこにとてつもなくうつくしいものがあるという気がして、その目の前に立ったときには震えるほど感動した。泣きそうになった。

 それからはしばらくうつだったので心も鈍くなっていて、感動できるものがないな、という気がしていた。そのことをおもうと、いまはだいぶ元気になった、という気がする。最近、すごくよかった映画は『はちどり』と、あと『リアリティのダンス』がよかった。
 ぼくは三年前から短歌をはじめて、いろんな短歌を読む機会が増えたんだけれど、「キング・オブ・キングス 死への歩みでも踵から金の砂をこぼして」という服部真理子の歌が好きになった。この歌を心のなかで唱えるといつも涙ぐんでしまう。それはやはり、下り坂を降りていくひとの歌だからだろうか。