ミツオ日記

自称詩人 熊野ミツオの日々

オフ会三昧

 書くことがない。それがなぜなのかはわからない。いや、ほんとうは少しだけわかる。書くことがないわけではない。そこに書きたいという情熱がないのだ。書くことはある。

 ぼくは自分に恋人ができないことを悩んできた。二十代の後半くらいにそのことに気がついて以来、恋人が欲しいとおもってきた。そして、十年が経った。ぼくはいまでは三十代も半分以上過ぎていた。そのことに気がついてちょっと驚いた。恋人が欲しいという願いを持つようになってから十年が経った、ということに驚いた。
 しかし、考えてみると、恋人が欲しいとおもうようになったのが二十代の後半、というのが遅いと言うひともいるかもしれない。たしかにそうだ。二十代後半になるまで、何をしていたんだろう。普通のひとはそれくらいになるまでに恋愛を経験しているものだ。
 それにはいろいろ理由がある。何より大きな理由はぼくが対人恐怖症だったからだって気がする。若い頃は普通にひとがこわかった。女の子ともうまく話せなかったし、友だちもいなかった。

 そのことを考えると現在の自分が不思議だ。最近のぼくは、ツイッターで知り合ったひととオフ会ばかりしている。たぶん、孤独だった頃の反動なのだ。

 最近したオフ会について、簡単に書く。
 コメダ珈琲店でフォロワーのO村さんに会った。O村さんは自分のことを不細工だとおもっているようだったけれど、そんなことはなかった。O村さんが言うには、O村さんのルックスについて肯定的な評価をしてくれたのは父親(だっけ)と、いまの旦那さんだけなのだそうだ。その話のとき、「ぼくで三人目です」と言おうかとおもったけれど、そういうことを言うと押しつけがましいかとおもって言わなかった。ひとにはひとの大切にしたい物語があるので、そういう繊細なところに押し入るのもどうかとおもった。ぼくはただのフォロワーに過ぎないのだ。
 O村さんはぼくの似顔絵を描いてくれた。なんかかわいいかんじに描いてくれて嬉しかった。
 O村さんは小説も書いていて、イラストも描いている。イラストはメガネをかけた髪の毛のあるタヌキのような絵だ。「これはタヌキではなくて妖精なんだ」みたいなことを話してくれて、印象深かった。

 北海道から来たフォロワーのT紙さんに会った。T紙さんとは二年前くらいからけっこう頻繁に電話でやり取りをしていた。T紙さんはうつ病で、お風呂に入るのもたいへんなのに、よく東京まで来てくれたとおもう。
 ぼくたちはスシローでお寿司を食べて、その後でコメダ珈琲店に来た。T紙さんは東京ではカプセルホテルに泊まっているそうで、まだ夜も早い時間帯だったので、すぐに解散してカプセルホテルに戻るのもつまらないだろう、とおもったのでカラオケに行こうと提案した。ぼくはそんなにカラオケが好きだというわけではないけれど、時間を潰す方法が他におもいつかなかった。
 二人で一時間くらい歌った。T紙さんは歌っているときと話しているときの声がけっこう違った。ぼくは声が低いのでリクエストした歌がうまく歌えない場合が多かった。
 そういえば、T紙さんが若かった頃の写真を見せてくれた。一枚目は坊主頭のT紙さんで、パンクみたいなかんじで尖っている風に見えた。二枚目の写真は「痩せていた頃のわたしです」と言って見せてくれたので「ほんとうだ、痩せている」と言ったら、笑っていた。他に言いようがあるだろう、とおもったのだろう。それはその通りだ。「かわいい」とか、「素敵だ」とかいろいろ。

 きのうはドイツから帰ってきていたフォロワーのA子さんに会った。A子さんとはコメダ珈琲店に行った後、お好み焼き屋さんに行った。
 ぼくは正直、お好み焼きを食べたいとおもい続けていた。それなのにそれをストレートに伝えられなかったのは、自分がお好み焼きをうまく焼けないことを知っているからだ。焼いて欲しいと言うのは図々しいとおもった。でも、お好み焼きは食べたい、みたいな葛藤があった。結局、お好み焼き屋には行った。大丈夫、と自分に言い聞かせた。ひっくり返すのはやってもらった。大阪風のミックスにした。ひっくり返すには迷いがあるとうまく行かないとA子さんは言っていた。そういうものだとはぼくも知ってはいる。お好み焼きは期待以上の出来だった。
 それから、N猫さんが来た。三人でビールのバーのような場所に来た。なんだかA子さんとN猫さんと三人でいると、家族のような気持ちになった。お父さんとお母さんと一緒にいる、というような気持ちだ。実際はそこまで歳が離れているわけではない。自分はもう子どもではなく、おじさんなのだ。
 ビールをたくさん飲んだので、だんだん耳が遠くなった。バーはけっこう込み合っていて、ひとが多くて話し声がガヤガヤとしていたので、耳が遠くなると話すのが難しくなった。それがきのうのことだった。

 このように書こうとおもえば、書くことはあるような気がする。それに実際に書いてみるとけっこうおもしろかった気さえする。それなのになぜか退屈だった。

 きょうは家でおでんをつくっていた。おでんをつくるということには気合いが必要だ。ソーセージやじゃがいもも入れたのでドイツ風おでんだ、と電話でT紙さんに言った。