ミツオ日記

自称詩人 熊野ミツオの日々

退屈と挑戦

 人生が退屈だ。そういうことを言うと、毎日、変わらない穏やかな日々を送れていることに感謝しなさい、と言われる。それは言えている、とぼくもおもう。ぼくは意外に刺激を求めているようなところがある。でも、ほんとうに刺激を求めているわけではない。刺激というものは危険でもある。ぼくはもともと臆病な性格で、いつもと違ったことをするのが苦手だった。
 この前、友だちのフォロワーに会いに行ったとき、フォロワーはサイゼリヤでアラビアータとか、サラダとかを食べながら、「このメニューの組み合わせは、実は以前も同じものを頼んだのに、また同じ組み合わせを頼んだ。ぼくは同じものばかり食べがちで、自分でそういうことをしているのに、たまに死ぬほど退屈だとおもう」みたいなことを言っていた。
 退屈だとおもいながらも、ついついいつもと同じことをしてしまう。それが人生というものかもしれない。いや、ほんとうはそんなことはなくて、なんかそういうタイプの人間がいるというだけなのかもしれない。自分で好んでいつもと同じことばかりしているのに、それを死ぬほど退屈だとおもっている。そうだとしたら面倒くさい人間だ。

 そういえば、ぼくはいままで入ったことのない店に入るのがすごく苦手だ。なぜだろう? 通ったことのない道に入るのも苦手だった。道に迷うこと自体をたのしめばいいのだと頭ではわかっている。でも、それは無理で、スマホで地図を見ながらではないと安心できない。そういう自分だから退屈なのかもしれない。でも、一回入ることができた店には何回も行ってしまう。

 昔、ツイッターで知り合って好意を持っていた女の子とはじめてリアルで会って、はじめてサイゼリヤに入った。池袋のサイゼリヤだった。辛味チキンがおいしいのだ、とその子は言っていた。ぼくは、サイゼリヤにはあまり入ったことがなかった。でも、なかなかいいとおもったのだろう。その女の子にフラれた後もサイゼリヤには入り続けた。あの子はおれにサイゼリヤに入る習慣だけを残していったな、みたいなことをおもった。ワインの大きなデカンタを飲み、酔いつぶれて泣いたりしていた。
 また、昔、仲のよかった丸メガネと髭の似合う元友だちは喫茶店好きで、彼と一緒に行動しているといろんな喫茶店に入ることができた。あるとき、映画を見る前に寄った喫茶店が気に入ったので、その友だちに絶交された後も、ぼくはその喫茶店には通い続けた。その喫茶店は、この前、潰れてなくなってしまった。居心地のいい喫茶店だったのに残念だった。
 ところで、そのときの元友だちと見た映画はタランティーノ監督の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』という映画だった。とてもかっこいい映画で、ぼくが映画館で見た映画のなかでもかなりいい方の映画だった、とおもう。
 いま、その『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』はアマゾンプライムに来ている。きょうは休日だったので『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』をもう一回見ようかとおもった。でも、見られなかった。なぜかと言うと、ぼくは映画を見るのが苦手だからだ。

 最近、気がついたのは、ぼくが自然に馴染んでいるかんじがするのは活字の本と、あとは音楽だけなのではないかということだった。映画、漫画、アニメ、ドラマなども見ようとおもえば見られるけれどなんとなく遠いかんじがして馴染まない。たとえば、疲れているから漫画を読もう、とはならない。映画、漫画、アニメ、ドラマなどに触れようとすると、胃が硬く強張るのをかんじる。普段、やり慣れていない新しいことに挑戦しようとするときにかんじる胃の強張りだ。
 そうは言ってもいつまでも馴染んだことばかりしていると、自分の世界が広がらないとおもって、たまに元気なときは気力を振り絞って新しいことに挑戦することもある。

 小説を書くことに挑戦しようとおもっているのに、なかなか書きはじめられない。もう、一年くらいずっと小説を書こうとおもい続けている。それなのに書けない。自分はどこかで小説を書きたくないとおもっているのかもしれない。そういう気がしてきた。それはやはり小説を書く、ということが自分にとって新しいことだからだという気がする。新しいことをがんばってやる。それも、小説を書くというような作業は毎日のコツコツとした繰り返しが必要だ。一日に一回、三十分くらい時間をつくって、新しいことに挑戦する。苦手なことに毎日挑戦する。その精神的負担が、ぼくの小説が書けない理由の一つなのではないだろうか?

 きょうは、結局、映画は見ずに散歩をした。映画よりは散歩をする方が自分にとっては楽だった。
 いつもの道を歩いて、いつもの駅で電車に乗って、隣の駅で降りた。その駅は、ぼくの住んでいる近辺の街では栄えている方だ。きょうは時間に余裕があったのでいつもとはすこし違ったことをした。だいたいいつもぼくは散歩のときは駅の周りをぐるりと一周するんだけれど、きょうは逆回りした。いつも歩く道を逆から歩いた。これはなかなか新鮮なかんじがするとおもった。それに道に迷うこともない。
 途中でブックオフに入った。ブックオフに入って本を選ぶ、というようなことも気力が充実していないとなかなかできない。本の持つエネルギーに押しつぶされてしまいそうになるので、それを跳ねのけるだけの気力が必要なのだ。きょうはそれがあった。多和田葉子の『地球にちりばめられて』と今村夏子の『むらさきのスカートの女』を買った。

 そういえば、あしたは北海道に住んでいるフォロワーが東京に来るので、いっしょにスシローに行く約束をした。さっき電話をしたら、あしたは旅行なのになかなかお風呂に入れないと言っていた。フォロワーはうつなのでお風呂に入るのが苦手なのだ。