ミツオ日記

自称詩人 熊野ミツオの日々

祝日のファミリーマート

 きょうは祝日らしい。ぼくには祝日はない。きょうはたまたま世間の祝日とぼくの休日が一致した日だ。きょうが何の日なのかも知らない。
 コメダ珈琲店に行こうかとおもっていたけれど、祝日なのでやめることにした。混んでいるコメダ珈琲店に行ってもリラックスすることはできない。ほんとうは行きたかったけれど我慢した。代わりに近所のファミリーマートまで行った。

 ファミリーマートにはひとがたくさんいた。ファミリーマートのなかだけではなくて、外にまでひとがいた。十代の若者たちが店の駐車場や横手の通路にたむろしていた。ぼくはあまり目を合わせないように気を付けて店のなかに入った。
 店のなかにもひとが大勢いた。肌のよく日に焼けた中年の小太りのヤンキーみたいな男が小学校の高学年くらいの娘を連れて買い物をしていた。小学三年生くらいの男の子もいた。
 店内には若い女性が多かった。子どもも多かった。ヤンキーの子どもみたいなかんじの子どもだった。
 ぼくは買い物カゴを持って彼らを避けながら店のなかを歩いて、アイス売り場の前で立ち止まった。どのアイスがいいか五分くらい迷った。その間、ぼくの近くに子どもが来て、同じようにどのアイスにするかで悩んでいるようだった。ぼくはパルムにすることにした。
 ファミリーマートのなかは窓ガラスから入ってくる光に満ちていて明るかった。祝日なんだな、というかんじがした。祝日だからこんな風にファミリーマートが混んでいるのだとわかった。ファミリーマートでこの混みようなので、コメダ珈琲店はもっと混んでいるだろう。コメダ珈琲店に行かなくてよかった、という気がした。
 ぼくはホイップクリーム入りのドーナツとパルムとビールの350缶を買った。五百四十円くらいだった。そして家に戻ってきて、コーヒーをいれてドーナツを食べた。

 フォロワーからLINEで電話のお誘いがあった。最近、フォロワーはコロナに罹って、その後遺症で精神が不安定になっているので、ぼくによく電話をかけてきた。精神が不安定になって、心細いときはひとに電話をしたくなる気持ちはよくわかる。

 フォロワーは北海道に住んでいる四十代の女性だった。神聖かまってちゃんのライブに行く予定だったのだけれど、コロナに罹ったせいでライブに行くことができなかったと言っていた。でも、最近は神聖かまってちゃんよりもドレスコーズにハマっているようだった。
 フォロワーは十月に東京に遊びに来るので、そのときはスシローに行く約束をしていた。フォロワーは寿司のネタではサーモンが好きだと言っていた。回転寿司に行ってもサーモン関係のネタの寿司ばかり食べるそうだった。そういう風に好みがはっきりしているのもいいな、とぼくはおもった。
 フォロワーとは四十五分くらい電話で話して、電話を切った。いくらフォロワーは精神が不安定だと言っても、そんなにずっとは電話をしていることはできない。こんな風にして、フォロワーのことをあまりブログに書きすぎるのもどうかとおもう。

 きょうはそんなに忙しくしていたわけではなくて、ボンヤリしているうちに時間が過ぎていった。でも、布団を干すことはできたし、レシートをまとめて家計簿もつけたし、部屋の隅にゴチャゴチャと置いてあったゴミを少し片づけることもできた。でも、もう夕方になってしまった。空が暗くなってきている。

 きょうの夜は映画が見られるのではないかという気がする。映画を見るのには気合いがいるし、生活のなかでまとまった時間がある必要があっていろいろな流れが合う必要がある。
 アマゾンプライムを見てみると、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』が見られるようになっていた。この映画は元友だちと映画館で見た思い出の映画で、すごくかっこいい映画なので、好きな映画だった。『ア・ゴースト・ストーリー』も見られるようになっていた。この映画は幽霊のラブストーリーで、以前見て好きだとおもった映画だった。他にも『バグダッドカフェ』や『ターミナル』もきていた。最近、アマゾンプライムは優秀だとおもう。
 今夜は『ターミナル』を見ようかとおもう。

 二日あった休日はそろそろ終わりに近づいている。休日にはなるべくゆっくり過ぎて欲しいといつもおもっている。

 きのうは実家に行っていた。実家に行くにはいろんなルートがあるけれど、あえて遠回りして、たくさん歩かなくてはいけないコースを選んだ。少し歩きたかったのだ。
 九月になってすこし暑さは和らいだけれど、相変わらず暑かったので、歩いていると汗まみれになってしまった。ぼくは短歌を考えながら、郊外の住宅街を歩いた。両側には一戸建ての住宅が並んでいるだけで、他にはとくに何もない道だった。途中で芙蓉の花があったのでスマホで写真を撮った。そんな風にして短歌を考えながら、何にもない郊外の住宅街の道を真っすぐに歩いたことはいまでも印象に残っている。

 実家では晩ごはんをご馳走になった。献立はカツオのお刺身、白菜と里芋の煮物、レバー、揚げとピーマンの甘辛煮と白いごはんだった。らっきょうもあった。デザートにはいい葡萄を食べた。ピオーネという品種の葡萄だった。皮をすこし剥いて、口に入れて皮から実を吸い出すと、甘酸っぱくておいしかった。
 実家めしは自分にとって以前は日常だったはずなんだけれど、ひとり暮らしも十年近くなったいまでは非日常のエンターテイメントになってしまった。