ミツオ日記

自称詩人 熊野ミツオの日々

二月三日の話

 この前、誕生日だった。ぼくの誕生日は二月三日なので、それはもう二十日くらい前の話だ。

 ぼくは三十五歳になった。三十五歳は立派なおっさんだ。ぼくは三十五歳の誕生日をなるべくハッピーに過ごそうとおもった。それで、二月三日の朝に支援者のTさんに電話した。

 ぼくは新しい職場に入ったばかりで、そのお祝いをTさんからしてもらう予定だった。回転寿司に行く予定があった。でも、それとは別にきょうが誕生日だということを伝えると、Tさんは仕事としてではなく、プライベートの時間をつかってお祝いしてくれると言った。こういうとき、Tさんはほんとうにいいひとだとおもう。Tさんには人情というものがある。

 仕事の後で、はま寿司に行くことになった。

 その他にも、ぼくは自分に誕生日プレゼントを買うことにした。何にしようかと考えた結果、哲学者のシモーヌ・ヴェイユが自分と同じ二月三日生まれだということをおもいだした。何か縁をかんじると前からおもっていて、いつかはヴェイユの本を読もうと考えていた。これを機会にヴェイユの本を買うことにした。

 Amazonで、シモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』を買った。この本は哲学の本だけれど、ベストセラーになったらしい。ベストセラーなら、自分のようにあまり頭のよくない人間でも読めるかもしれない。でも、やはり読めないかもしれない。それは読んでみないと何とも言えない(まだ、読んでいない)。

 ツイッターに、きょうが誕生日だとツイートすると、たくさんのフォロワーがお祝いのリプライをくれた。ぼくはリアルでは、孤立しているけれど、ツイッターでは人気がある方だ。いろんなひとから祝われるのは嬉しいことだとおもう。ぼくも他のひとが誕生日のときは、ひとことでもいいからなるべく「おめでとう」と言おうとおもった。

 その日は普通にバイトだった。ぼくは主にお店の倉庫で仕事をしている。商品の入った段ボール箱が届くので、それをカッターで開けてカゴに仕分けをする。それの繰り返しだった。その日は、たくさんの段ボール箱が届いたけれど、退勤の時間ギリギリにぜんぶ仕分けすることができた。間に合うか間に合わないか微妙だったけれど、間に合った。それは、きょうが誕生日だからかもしれない。

 他には、バイトの女の子が「熊野さん、お疲れ様です」と言って、ニッコリしてくれた、という小さないいこともあった。

 なんとなく、いいことが重なっている気がした。

 それはきょうが誕生日だからかもしれないが、やはり人間は、自分の誕生日のような日には自然と気合いが入って普段はできないことや、めんどうくさくてあえてしないことまで出来てしまうのかもしれない。だとしたら、とくに誕生日とかではなくて、普段の何でもない日でも、後ほんの少しだけ気合いを入れれば、すばらしい一日に変えることができるのかもしれない。

 ぼくはバイト先から電車ではま寿司に向かった。支援者さんとの待ち合わせ時間の十五分くらい前に着いたので、先に席をとっておくことにした。

 最初、座った席には、よく見ると注文用のタブレットがなくて、向こう側にあった。ぼくは、きょうは誕生日だということもあって、Tさんに注文してもらってもいいかもしれない、とおもった。でも、だんだん居心地が悪くなってきたので、自分で注文を取ることにしようと考え直して反対側の席に移った。

 すると、他のお客さんが並んでいるのが目に入った。レジの前から列ができている。並んでいるお客さんと目が合った。なぜ、こんなにお客さんがレジに並んでいるのだろう。そう考えて、ぼくは二つ可能性をおもいついた。一つ目はきょうが二月三日だから、恵方巻を予約したお客さんが並んでいるという説で、もう一つは単純にコロナ禍だから、寿司をテイクアウトするために並んでいる、という説だった。二つ目の説が正しい場合、ぼくは少し居心地が悪いな、とおもった。

 やがて、Tさんが来た。Tさんはこの前、六十歳になったらしい。でも、髪の毛は黒いので、たぶん染めているのだろう。Tさんは、いいかんじのおばちゃんだ。Tさんは席に着くと、ぼくの前にあったタブレットを取り外して、自分の側に移した。タブレットが取り外せることにぼくは気がつかなかったのだ。「きょうは奢りますよ」とTさんは言った。Tさんは人情があるし、太っ腹だった。どちらもいまどき珍しい美徳だ。

 Tさんの話のなかで、二十日後のいまも印象に残っているのは、Tさんが夜更かしをしてゲームをしたり、漫画を読んだりしているという部分だ。ぼくにはそういうところがないので、人生をたのしんでいるかんじがして羨ましい。

 Tさんは、いまは離婚して独り身だけれど、結婚していたこともあって、娘がふたりいる。上の娘はぼくと同じくらいの年齢なのだそうだ。Tさんがいつまで経っても若者のようなかんじなので、娘からは少し信用がないけれど、「お母さんはそのままでいいんだよ」とも言われると言っていた。すばらしいな、とぼくはおもったので、そう言った。すばらしいですね。Tさんは、その日はLINEでも宣言した通り、仕事の話はあまりしなかった。

 ぼくたちは寿司を食べて、酒を飲んだ。Tさんはお腹が空いていたらしくて、かなり食べた。ぼくよりたくさん食べた。ぼくは人前では割と食欲が減るほうだ。ブラックニッカの薄いハイボールを四杯くらい飲んだ。Tさんは一杯しか飲まなかったけれど、じゅうぶん陽気だった。

 もう二十日前のことだけれど、すごくいい一日を過ごせたとおもう。ぼくは三十五歳の誕生日に、家族からは何もしてもらっていない。でも、満足したので、何も不満はない。

 Tさんに時間をとって相手をしてもらったのも嬉しかった。ぼくは、普段も寂しくなると、何かと用事をつくって支援者のTさんに電話しがちだけれど、この日たくさん話したので満足してしばらくは電話をかけなかった。このことからわかったのは、ひとはじゅうぶん愛情をかけてもらえると、けっこう満たされるので、そんなに寂しいと言わなくなるということだった。