ミツオ日記

自称詩人 熊野ミツオの日々

phaのサイン

 ぼくは緑内障ではないことがわかった。それは嬉しいことだった。でも、そうなると、なぜ、緑内障ではないのに、緑内障だと言われていたのだろう、とおもう。ぼくはこの二年か三年の間、毎日、目薬をさしていた。そして、いつか自分は眼が見えなくなるのだという恐怖をかんじながら過ごした。

 緑内障ではないのがわかったのはセカンドオピニオンをしたからだ。いや、正確にはセカンドオピニオンではなかった。ただ、他の病院で診てもらったというだけだ。セカンドオピニオンというのは、いま掛かっている医者が集めたいろんなデータを、他の医者が参考にしてはじめてセカンドオピニオンと言うのだそうだ。ぼくは勝手に他の病院に診てもらったので、それはセカンドオピニオンとは言わないらしい。
 インターネットで優秀だと評判の眼科に行ったのだけれど、その病院は遠かった。若くて、眼がギョロリとした性格に問題がありそうな男の先生が診てくれた。先生は、いま書いたようなセカンドオピニオンの定義について説明してくれた。だから、これはセカンドオピニオンではないのだ、ということだった。先生の後ろで、中年の女性看護師が、もっともだというような顔をしてウンウンと頷いていた。それに続けて先生は緑内障の治療は通えることが大事なので、当院はあなたにとっては遠すぎると言った。
 仕方がないので、「それじゃあ、ぼくの住んでいる辺りでいい病院はありませんか?」と聞いたら、しばらく考えていたけれど二つ教えてくれた。そのうちの一つには緑内障の専門の先生がいるということだった。ぼくがメモをしようとしていると、看護師さんが先に紙に病院の名前と電話番号を書いて、それをくれた。「私の汚い字ですみません」と看護師さんは言った。ぼくは「いえいえ、ありがとうございます」と答えた。
 結局、その先生には逆さまつげを抜いてもらっただけだった。「また、どうせ生えてくるけれどね」と言われたけれど、抜いてもらうと眼が明らかに楽になったのでよかった。

 教わった眼科にはその一週間後に行った。家のある駅の、隣の駅まで電車で行って、そこから少し歩いた。
 その眼科にはきれいな看護師さんが多かった。それに設備も充実しているように見えた。待合室にはデカいテレビがあって、テレビにはジャニーズ事務所の会見が映っていた。そこでいろいろ検査した結果、ぼくは緑内障ではないことがわかった。先生は説明しながら、ニコニコした。(よかったですね)ということだろう。
 ぼくは解放されたのだ。それが十月二日のことだったんだけれど、ぼくは、きょうは天使の日だとおもった。天使の日は十月四日なので、それは間違いだった。でも、なぜかきょうは天使の日でいいことがあった、とぼくはおもい込んでしまった。

 その日の一日前の日曜日(十月一日)にはSちゃんと高円寺で遊んだ。Sちゃんと入った喫茶店には見覚えがあった。ここに来るのははじめてではなかった。それは三年か、四年くらい前、元友だちと高円寺で酒を飲んだ夜に来た喫茶店だった。自分がはじめて来た場所にいるつもりだったのに、見覚えがあって驚いた。
 その喫茶店には、白髪のお婆さんがいて、裸婦の銅像があって、クラシックが鳴っている。そのクラシックの何となく迫力のあるかんじもあって、ホラーな雰囲気があったのを覚えていた。そのときは酔っ払っていたし、夜だった。おもいだしてきた。
 Sちゃんとは窓際の席に座った。ぼくはオレンジジュースを頼んだけれど、それは百パーセント果汁ではなかったような気がする。Sちゃんとは詩集を交換した。ぼくは熊野ミツオベスト詩集「余生」をあげて、SちゃんはSちゃんの短歌と詩の本をくれた。

 ちなみに、その日の目的はそぞろ書房のpha展に行くことだった。phaは、元日本一のニートで、いまは作家、エッセイストをしている。ぼくはphaの書く文章のファンだった。実はぼくは文学フリマ東京でも一度、phaに会っていて、そのとき、phaの日記『曖昧日記1』を買ってサインをもらった。そのときのサインは蟹の絵だった。「まいたけさんへ」と書いてもらった。
 そぞろ書房に着いてなかを見てまわった。点滅社のひとたちもいた。こうやって狭い空間にいっしょにいても相手は気がつかないけれども、ぼくたちはツイッターの相互フォロワーだった。いつ名乗ろうかとタイミングを見計らっていた。そぞろ書房には、ぼくのツイッターでのフォロワーの同人誌や個人誌がけっこうあった。熊野ミツオベスト詩集「余生」もできれば置いてほしいとおもっていたけれど、それがうまく言えるかどうか自信がなかった。
 Phaの描いたゆるいかんじのイラストや、日記のなかの言葉が壁に貼ってあるので、それを見ていた。
 そのとき、ドアが開いてpha本人が入ってきた。Sちゃんが「あ、Phaさんが来たよ。まいたけさん!」と言った。ぼくはphaの『曖昧日記2』を持ってレジに向かい、それを買った。それから、phaに話しかけた。「ファンです」とぼくは言い、「サインしてください」と言って買ったばかりの『曖昧日記2』にサインをもらった。「ぼくはひらがなでまいたけと言います」と話した。Phaは「舞茸はいいですよね。さっき食べました」と言ってきたので、ぼくは「天ぷらですか?」と聞いたら、そうだと言っていた。話が途切れた。今回のサインは蛇が自分で自分の尻尾を咥えているイラストだった。
 ぼくは何か言おうかとおもって焦ってしまって「がんばってください」と言ってしまった。Phaはがんばらない生き方をしているところがいいのに、そのphaに「がんばってください」と言ってしまうなんて失敗だった。ぼくは逃げるようにそぞろ書房を後にした。
 Sちゃんと駅まで歩きながら、自分の失敗を嘆き、「恥ずかしい」と言っていたら、Sちゃんは「大丈夫ですよ」と慰めてくれてやさしかった。

 それが、この前の話だ。最近は夜、寝る前に『曖昧日記2』を読むのがたのしみだ。『曖昧日記』には3もあるのでそれもぜひ買って、本人にサインしてもらいたいけれど、次は変なことを言わないように事前にいろいろ考えてから話しかけたい。