ミツオ日記

自称詩人 熊野ミツオの日々

ひとり飲みは判断の連続だ

 四連休の四日目の夜になった。四連休はもう終わったと言っていいだろう。でも、まだ少しだけ残っている。その時間をつかってブログを書くことにした。

 さっきまでぼくはお風呂に入ることができずに困っていた。お風呂を沸かしはしたものの、入ることができなくて畳に寝そべってツイッターを見ていた。ローリングストーンズの音楽を流していたんだけれど、だらだらしているうちにアルバムが一枚終わってしまった。
 最近は意志の力が弱まっていて、お風呂に入るのにいつもより時間がかかる。意志の力が弱まっているので、たとえば連休中に餃子を四十個つくってそれを冷凍しておこうとおもってもできなかったし、映画を見ようとおもっても見られなかった。頭でこれからこういうことをしようと計画を立てても実際にそれができない。
 たぶん、ぼくは心の底から餃子を四十個つくりたいわけでも、映画が見たいわけでもなく、お風呂に入りたいわけでもなかったのだろう。
 それでも、お風呂には入った。九月になっても相変わらず暑いので、お風呂から出ても汗が噴き出してきて、なかなか止まらず気持ちが悪い。
 四連休、最後の夜なのに食べるものがなかった。
 それはさっきも書いた通り、意志の力が弱まっているからで、献立を頭のなかで考えて、その計画に基づいてスーパーまで行って食材を選んで買ってくる、ということができなかったからだった。
 ぼくは服を着て、近所のコンビニまで行った。汗ばんだ身体に夜風が気持ちいい。ぼくは頭のなかでコンビニではだいたい八百円くらいかかるだろう、というようなことを考えた。実際にそうだった。ぼくはデカいおにぎりを一個と醤油味のカップ麺とアイスのピノを買った。七百五十円くらいだった。

 こうしてブログを書いていておもったのは、人間はみんな、ぼくみたいにいろいろなことをいちいち計画して、考えてからそれをしているのだろうか、ということだった。

 たとえば、ぼくは平日、アルバイトがある日などは、仕事をしながらもなんとなく帰りにスーパーで何を買うか考えている場合が多い。それは普通のことなのか、それとも珍しいことなのか。普通のひとはその日の献立のようなものはスーパーに行ってからその場で決めているのかもしれない。
 実家にいたとき、母が料理をしているのを手伝っていたとき、母はその日の献立をほとんどつくりながら決めているように見えた。ぼくにはそういうことはできない。事前に計画を練る必要がある。
 これはぼくが自閉症スペクトラム臨機応変な行動が苦手、ということから来ていて、実はそれが脳の疲労の原因になっているのかもしれない。この考えは自分のなかでは新しいおもいつきだとおもう。普通に生活をするためにも事前に頭のなかで何度もシミュレーションする必要があって、その負荷のせいで、脳が疲れるのかもしれない。そして、脳が疲れた結果、意志の力が弱くなって何もできなくなってしまうのかもれなかった。

 そのことでおもいだしたのは、きのうしたひとり飲みのことだ。ぼくはひとり飲みが苦手だ。そのことに気がついたのも最近だった。
 それはなぜかと言うと、ひとり飲みということが基本的に判断の連続だからだ。どの店で飲むか、何を飲むのか、どれくらい飲むのか、つまみは何にするのか、その結果いくらくらいかかるのか、二軒目はどうするのか、または家に帰るのか、みたいなことで頭のなかがぐるぐるしてしまう。
 スマートにひとり飲みをすることは意外に難しいことなのだ。

 きのうは、最初はなんとなく散歩に出るだけのつもりだったのにいつのまにかひとり飲みになっていた。
 そのときは、お腹が空いたという気持ちと、喫茶店的なところで書きものをしたいという気持ちが両方あったので、まず喫茶店に入った。お酒もある喫茶店だったのでハイネケンを頼んだら七百三十円だった。高いとおもった。でも、基本的に街に出て酒を飲む、みたいなときにケチっていてはたのしめない。せっかくひとり飲みをするのだからたのしい気持ちで飲みたい。ケチケチするのはやめよう、と決意した。でも、その決意はすぐにグラグラした。
 書きものをするためにノートを出して、ハイネケンを少しずつ飲みながら考え込んでいたら、近くの席にいた学生たちの間から「ポエム」とか、「ポエマー」とかいう言葉が聞こえてきた。ぼくは嫌な気分になったけれど無視して集中しようとした。いまはポエムというよりかは短歌を考えていた。何もおもいつかなかった。こんな風に混んでいる喫茶店で、意地悪で、野蛮で、暇を持て余している大学生たちに見られながら書きものをすることはできない。ハイネケンはすぐになくなったので二軒目に移った。

 二軒目は中華料理屋で、以前、ツイッターのフォロワーと入ったことがあった。フォロワーといっしょに入ったときは餃子二十個の大皿を食べたけれど、さすがにひとりで二十個は食べられない(その気になればもちろんいけるだろうけれど)。パクチー餃子の値段が手頃で、量も丁度良かったのでパクチー餃子と黒ホッピーを頼んだ。すると調理場の方で、「おえっ」という声が聞こえた。パクチーが苦手なんだな、とおもった。それでもなんとなく嫌な気分になった。
 中華料理屋の店員さんはくつろいでいておおらかなかんじの髭面の男性だった。だいたいぼくはこういう居酒屋の店員に多くいる誰にでも気安く話しかけて、すぐに仲良くなってしまう、みたいなタイプのひととは合わない。学校で同じクラスにいても絶対に友だちになれないとおもう。世界観が違いすぎるのだ。というか、どちらかというとぼくが場違いなのだろう。
 ぼくという人間と居酒屋という場所が、水と油のように混じり合わない。ぼくがひとり飲みに向いていない理由にはそれもあるとおもう。

 ホッピーのなかの焼酎がかなり多かったので、その店を出る頃にはけっこう酔っていた。それなのに真っ直ぐ帰りたくなかった。
 電車で家の近くまで帰ってきてから近所にできたガストに入った。このガストは以前あったレストランがなくなって、その代わりにできた店だった。ガストでしめにごはんを食べた。寒々とした気持ちだった。最近は酔っ払ってもぜんぜんたのしい気分にならない。ぜんぶが間違いだったのだという気がする。