ミツオ日記

自称詩人 熊野ミツオの日々

人生の岐路

 自分の真実、やりたいことはなんだろうか。最近はなんだかお風呂に入るだけのことにも酷く時間がかかってしまう。意志の力が弱まっている。

 ぼくはいま、三十六歳で将来について悩んでいる。つまり、詩人になるか、歌人になるか、小説家になるか、絵日記職人になるかだ。そう言うとずいぶんお気楽なようにおもわれるかもしれない。でも、これは実際にそうなのだ。
 ぼくは、人間の生活の大きな要素であるラブとジョブ、つまり恋愛と仕事に失敗した。そうなると人生に張りというものがなくなった。三十六歳で隠居のような生活だ。だから、これからの選択肢についても必然的に浮世離れして、お気楽なムードが出てしまうのだ。
 まあ、それはそれでいいことだろう、という気もする。ラブとジョブがうまくいって、毎日不機嫌な妻や、生意気な子どものために少しでも銭を稼ごうとして馬車馬のように働く、みたいなそういう生活をしないで済んだのだから。その代わり孤独だけれどね。
 ひとはぼくをファンシーな中年だとバカにするかもしれない。でも、そういう風にバカにしてくるひとがぼくよりマシな人生を送っているとは限らない。ぼくは浮世離れした中年だ。最近はひとから熊野さんは妖精っぽい、みたいなことを言われるようになった。中年になって妖精っぽさが出てきてしまった。研ぎ澄まされてきているのだろう。

 話は戻るけれど、将来の話だ。詩人になるか、歌人になるか、小説家になるか、絵日記職人になるか。
 こうして人生の岐路に立ってみて気がついたけれど、ぼくには内から湧き出る情熱というものがない。情熱というか、これがやりたいという欲望がない。もっと言うと、これをしているときがたのしいんだという感覚が麻痺している。だから、選択に悩んだとき、いつまでも迷い続けることになる。
 LINE友だちに熊野さんは寺山修司ジャン・コクトーのようにいろんな方面で才能を発揮していると褒められた。でも、正直言ってぼくはそんなに器用な方ではない。
 いまは、詩と短歌と小説と絵日記を同時にやっている。どうしてぼくは迷っているのだろうか。それぞれの分野にそれなりの才能があって、褒めてくれるひとはいる。でも、たぶんそういう問題ではなくて、内から湧き出るパッションがない。ひとはそう言うかもしれないけれど、ぼくはこっちに行きたいんだという気持ちがない。

 それには、意識して自分のことを知ろうとしなくてはいけないのだろう。自分と向き合う。そういうことを言う奴をどこかでバカにしていたけれど、ぼくもそれをやる必要が出て来たのだ。そういうことだろう。

 いまは四連休の二日目だ。きのうは台風の影響で一日じゅう雨だった。きのうは近所のファミリーマートまでお昼を買いに行っただけで、他は家にいた。
 きょうは餃子をつくろうとおもっていた。せっかくの四連休なので家にいるのはいいとして、何かやろうとおもったのだ。餃子を四十個くらいつくって冷凍しておこうとおもった。でも、いまになってそれが嫌になってしまった。
 最近のぼくはお風呂に入るのもたいへんなくらい意志力が弱まっている。そんな人間に四十個もの餃子をつくる、なんていうしんどいことができるわけがなかった。
 しんどいという気持ち。だるいという気持ち。それがいまのぼくが真実かんじていることだった。
 餃子をつくろうとおもったのはほんとうにやりたいことではなかった。ほんとうに心の底から餃子をつくりたいとおもったわけではなかった。それは頭で考えたことだった。頭で餃子をつくったらたのしいだろう、とおもったのだ。

 それなら映画でも見るか、ともおもったけれど、たぶんこれも頭で考えたことだ。でも、映画は見るかもしれない。
 映画を見るのはたのしいことだ。どんなにつまらない映画でも二時間は映画に集中している必要がある。それがいい。つまり、自分の人生から少し距離ができる。その自分の人生から距離ができるかんじがとてもいい。

 最近はこんな風につまらないことをいろいろと考えてしまう。ほんとうのところ、ここに書くことはない。でも、こうしてどうでもいいことをブログに書くことが好きなので、書くことがなくても書いてしまう。
 自分はもしかすると、いま間違ったところにいるのかもしれない。本来の自分というものがあるとして、いまの自分はその自分からズレた自分なのだ。こういうのを「ほんとうの自分幻想」というのかもしれない。
 毎日、ツイッターを見ていると、無意識にひとと自分の人生を比較してしまう。そして落ち込むのだ。もうそういうことはやめたい。自分の軸を確立したい。それには自分と向き合う必要がある。

 いまは散歩に行きたい気持ちだ。ずっと家でごろごろしていたので身体がなまってきていて、動かしたいという欲求をかんじる。手脚がウズウズしてきた。それに外が少しずつ明るくなっていっているのがわかる。台風は過ぎたのだ。
 そうなると近所をとくに理由なく歩きたくなる。雨あがりの湿った空気のなかをイヤホンでローリングストーンズを聴きながら歩きたい。歩くことでいいアイディアが浮かぶかもしれない。
 餃子は無理でもカレーくらいならつくってもいいとおもう。