ミツオ日記

自称詩人 熊野ミツオの日々

2022年5月2日(月)

 きょうは映画を見に下北沢まで行こうかとおもっていた。友人に勧められた映画を見よう、とおもっていた。下北沢にはコメダ珈琲店があるらしいので、映画の時間までコメダ珈琲店に居ればいい。ツイッターを見ていたら、夕方から雷雨という情報があった。混んでいる電車に濡れた傘を持って乗る不愉快さをおもうと、きょうは下北沢までは行けないという気がしてきた。その程度のことで遊びに行くのを止めてしまうのもどうかとおもったけれど、なんとなく嫌な予感がしてきたので映画はあきらめることにした。

 

 玄関に段ボール箱を放置していた。中にはAmazonから届いた新品の掃除機が入っていた。届いたのはいいけれど開けるのが面倒で放置していたのだ。それを、開けた。説明書を見ながらノズルやホースをカシャカシャと組み立てた。こういうとき、普通は説明書を読むものなのだろうか、と悩んだ。さすがにいちいち細かい部分までは読まなかったけれど、大文字の部分は読んで、だいたいのところを把握した。その作業が面倒くさくて、だるい気分になってしまう。

 ぼくの家にはいままで掃除機がなかった。ひとり暮らし八年目で、いまの家に越して来てから三年くらい経っている。でも、その間は掃除機なしで、床の埃はクイックルワイパーでとっていた。ぼくは面倒くさがり屋なのであまり頻繁に掃除をしなかった。クイックルワイパーもあまりしなかった。そのお陰で、畳がどんどん埃っぽくなって、部屋の隅には灰色の綿埃の塊が出てきていた。なんとなく、風呂に入って耳の後ろを触ると、埃がついていることもあった。不潔だ。

 ぼくが掃除機を買う気になったのは、貧困世帯に配られた十万円の給付金のお陰だった。五万円を貯金して、残り五万円で経済を回そうとおもったのだ。掃除機は一万五千円だった。他にはマッチングアプリに一万五千円課金した。まだ、二万円は残っている計算だけれど、使い道は決めていない。それくらいのお金は生活をしているうちに溶けてしまうものかもしれない。

 掃除機を組み立て終わったのでコードを伸ばしてコンセントに繋ぎ、スイッチを入れた。Amazonのレビューでは性能はいいけれどうるさいというレビューが多かった。たしかに音は大きいような気がした。

 掃除機の先を近づけると、埃がぷるぷると震え出して、次の瞬間にはノズルに吸い込まれていった。クイックルワイパーで拭いてもとれない埃が一瞬で消えた。気分がよくなってきた。部屋の隅にあった綿埃の塊や、押し入れの中の埃も吸い込んだ。キッチンのフローリングやトイレの床もきれいになった。

 

 映画に行かないことに決めたので、いつもの休日のように近所のコメダ珈琲店と回転寿司をはしごすることにした。夕方の雷雨に備えて、長い傘を持って家を出た。Amazonからメールが届いていて、「ココア共和国」の五月号が届いたのがわかったので、一階まで下りたついでにポストを開けて包みを回収した。空を見ると遠くの方が暗くて、大雨が降っている気配がした。

 コメダ珈琲店Amazonの包みを開けて、「ココア共和国」五月号を取り出した。いつもは佳作に選ばれることはあっても、傑作選に選ばれることはない。選ばれたのは一年ぶりくらいだとおもう。自分の詩が紙の本にのっているのは嬉しいものだ。『春の孤独死』という詩で、九十ページにのっている。しばらく「ココア共和国」五月号を持ち歩いて、会った人に自慢したい。

 きょうは「ココア共和国」五月号の他にも、千葉雅也の『現代思想入門』と、若松英輔の『本を読めなくなった人のための読書術』を持っていたので読むものに困らなかった。『現代思想入門』は後少しで読み終わるので、『本を読めなくってしまった人のための読書術』の方も少しずつ読みはじめた。これはいまの自分が求めていた本だという気がした。ぼくは、しばらく前から本がおもうように読めなくなっていた。読書というのは、基本的にひとりの時間だ。本を読むことはひとりになることだ。

 

 アイスオーレのたっぷりサイズを飲みながら本を読んでいると、店の扉が開いて、おじさんが入ってきた。おじさんは大きな声で言った。「虹が出ているよ。大きな虹だよ。しかも、二重に出ている」。店員の女性は適当に相槌を打って、笑い声を出した。「大きな虹だよ。しかも、二重に出ている。外に出て来なよ。見ないと勿体ないよ」とおじさんは続けた。店員の女性は笑い声をあげたけれど、外に出ようとはしなかった。当たり前といえば、当たり前だった。仕事中なのだ。おじさんは不満そうだったけれど、外に出て行った。

 ここで仕事中なのにも関わらず虹を見に外に出ていくようなひとは社会人失格だけれど、そういうひともいいな、とぼくはおもった。わけのわからないおじさんもなかなかいい。でも、やはり「ちゃんとした大人」であるためには虹を見に外に出て行ってしまってはいけない。難しいところだとおもう。でも、なんて言うか、虹なんて所詮、虹なのだとも言える。こうしてひとは大人になっていくんだな、とぼくはしみじみとおもった。

 

 ぼくはコメダ珈琲店を出て回転寿司に行くために外に出た。雨はぼくがコメダ珈琲店にいる間に降って、もう止んだようだった。路面が濡れて夕方の光を反射していた。うつくしい。

 ぼくは回転寿司に入って、十五皿食べた。それから、すっかり暗くなった夜の道を家まで帰った。雨はおもったほどではなかったので、きょうは映画を見に行くべきだった。ぼくは間違った方を選んでしまった。家の近所のコンビニの裏の暗い道を歩いているとき、周りにひとがいなかったのでマスクを外してみた。雨に洗われた空気が、鼻や口にひんやりとして気持ちがよかった。

贅沢な悩み

 人生、うまくいかない。ぼくにはいろいろな悩みがある。よく考えてみると、そういう悩みはけっこう贅沢なものなのかもしれない。

 たとえば、ダイエットがうまくいかない、という悩みがある。これはよく言われるように、裏を返せば、食べものに困っていないということだ。世界には、食べるものがなくて苦しんでいるひとがいる。それに比べればダイエットがうまくいかない、という悩みは贅沢な悩みと言えるだろう。

 他には、母親に理解されない、という悩みがある。ぼくの母は少し鈍感なところがあって、話しているとイライラしてしまう。ぼくはそのことでよく悩んでいた。でも、そのことを周りに話すと、熊野さんはお母さんと仲がよくていいね、と言われる。客観的に見ると、仲がいいように見えるらしい。

 これはもしかすると、カップルの惚気と同じレベルの話なのかもしれない。恋人にこんな不満があるんです、みたいな話が、周りから見ると、逆に仲がいい自慢みたいに見えるというようなことだ。

 考えてみると、母はセンスが悪いとおもうことはあるけれど、そんなに酷い人間ではない。子どもの頃、育児放棄されたとか、意地の悪い皮肉を言ってくるとか、他に恋人をつくって家を出てしまったとか、そういう本格的なかんじではない。むしろ、いい母親と言えるくらいだ。

 ぼくは最近ずっと母の無理解に悩んでいたけれど、友人に話したり、カウンセラーに話したりする過程で、これは贅沢な悩みかもしれないとおもうようになった。世の中にはもっと酷い母親だっている。

 悩みというのはつい深刻に考えてしまうものだけれど、実際はそこまでではないのかもしれない。悩み自体よりも、それについて考えて暗い気持ちになってしまうほうが、問題なのかもしれない。

 

 あしたはバイトが休みなので、何をしようかで悩んでいる。

 ぼくは日焼け止めを塗ったことがないので、これから夏になって紫外線が強くなる前に日焼け止めを塗るようにしようか、というのが一つある。いまから日焼け止めを塗っておけば、老人になっても顔が染みだらけになったりしないのではないか。

 それか、友人に勧められてまだ見ていない映画を見に行こうか、という気持ちもある。『愛について語るときにイケダの語ること』というタイトルの映画で、障害者とセックスがテーマの映画らしい。とてもいい映画だと友人は言っていた。

 または、ユニクロに服を買いに行こうか、という考えもある。ぼくのバイト先はティーシャツが禁止なので、夏でも襟のついたシャツを着なくてはいけない。それを準備する必要がある。

 こうやって考えていくとあきらかに休日が足りていないとおもう。でも、最近のぼくは何も考えないようにしているので、大丈夫だ。たぶん、あしたは映画を見に行くだろう、という気がする。そういう気分なのだ。生活のことをあれこれやるのもいいけれど、ぼくにいま必要なのは感動だという気がする。

何も考えずに働く

 ぼくの人生はこれからよくなる。そういう風に自分に言い聞かせてみた。ぼくはどちらかというといつもネガティブなことを言っている。だから、それを変えてみようとおもったのだ。実際に人生がよくなるかどうかはわからない。ただ、感じ方のほうを変えてみようとおもったのだ。

 

 最近は毎日、バイトに行っている。少し前は働くのが嫌すぎてたまに休んだりしていた。休んでコメダ珈琲店に行ったりしていた。でも、いまは毎日、バイトに行けている。それはいいことだと一般的には言われている。カウンセラーさんもそう言うだろう。

 この前、カウンセラーさんと話していたら、「熊野さんはとにかく調子が悪くてもそういうのに関係なく仕事に行けるようになるといいですね」と言われた。それがぼくにとって大切なことだとカウンセラーさんはおもったようだ。そうなのだろうか。わからない。

 ぼくの友だちは、「熊野さんのバイトは祝日もないし、休みも少ないからたまには自分で休みをつくって調節するのもいいかもしれませんね」と言っていた。どうなのだろう。何が正しいのかわからなくなる。

 とにかく、ここ最近のぼくは、真面目にバイトに行っている。そのコツは何も考えないことだ。仕事中に、「自分がいま、ここで働いているのは、自分の人生にとって有益なことなのだろうか?」みたいなことを考えはじめるとつらくなる。そういう本質的なことを考えないようにすると、仕事をするのもそこまでつらくない。

 支援者さんに相談したとき、「熊野さんの仕事は手足を動かしていれば終わる仕事なのだから、生活のためにやればいいんですよ」と言われて、ぼくも「それはそうだな」とおもった。それ以来、ぼくは余計なことを考えずに働いている。

 仕事というのはたぶん、いつの間にかいまの職場にいて、気がついたらやっていた、くらいの軽いノリでやるものなのかもしれない。これはYouTubeで聞いた話だけれど、仕事というのはスーパーに買い物に行くくらいの気持ちでやれるといいらしい。

 何も考えないと楽だ。これは仕事だけではなくて人生についても言えるのかもしれない。人生とは何か? とか、生きる意味は? みたいなことを考えはじめると苦しい。なんとなく、気がついたら生きていたから、とくに理由なく死ぬまで生きていくのだというくらいが丁度いいのかもしれない。

 

 そういうかんじで何も考えずに手足を動かして働いている。

 そう言うと、すべてがなんとなくうまくいっているような気がしてくるが、そうではない。最近は真面目に働いているせいか、睡眠時間が長くなっていて、夜の十二時に寝ると、朝の九時まで眠ってしまう。九時間は眠っていることになる。ぼくのバイトは午後からなので、午前中は自由なんだけれど、その自由時間が睡眠で圧迫されている。

 自由時間が短くなっているだけではなく、気力もなくなっていて、何もする気になれない。ぼくはいままでは読書と筋トレを日課にしていた。でも、いまはそれもできない。がんばる、ということができなくなってしまった。朝、起きて、朝ごはんの支度をして、コーヒーをいれると、それを食べながら、YouTubeを開いて、延々と見続ける、みたいなひとになってしまった。気力が湧かなくて楽なほうへと流されている。

 YouTube精神科医が話す動画を見ている。おもいかえしてみると、ぼくは昔からそういうメンタル系の話を聞くのが好きだった。それはやはり、ぼくが病んでいるからなのかもしれない。ぼくは美大出身で写真が専攻だったんだけれど、あるいは心理学のようなものを学んでもよかったのかもしれない、とちょっとおもった。

 

 YouTubeを開いて、精神科医の動画を見ているうちに午前中は終わる。午後はバイトに行って、何も考えないようにして働く。そして夜は詩をつくる、そういう日々だ。

熱海へ行った話

 ぼくは熱海に憧れていた。熱海はいい町だ、といろんなひとから聞いて、そうなのだとずっとおもっていた。去年から五百円玉貯金をはじめた。これが貯まったら熱海に行こう、とおもった。そして、半年以上の時間が過ぎた。新しいバイト先で働きはじめて、その仕事に慣れてきて生活に新鮮味がなくなってきた。春が来たせいか、なんとなく身体がだるくて、調子が悪い。そんなとき、ぼくは一日、休暇をもらった。これで熱海に行ける、とぼくはおもった。五百円玉貯金を数えてみると二万六千円貯まっていた。いよいよこれで熱海に行くことができる。

 

 ぼくは品川から出る各駅停車の電車に乗った。電車のなかでは、小島信夫の『抱擁家族』を読んでいた。あんまり深く考えていなかったけれど、熱海にはなかなか着かなかった。スマートフォンで改めて調べてみると、熱海は終点で、まだ半分も来ていなかった。

 座っているのに疲れたので扉の近くに立って、『抱擁家族』の続きを読んだ。窓から見える景色がだんだん変わってきた。トンネルが多くなって、高い建物がなくなり、街並みがかわいいかんじになってきた。その街並みのよさに熱海が近づいていることをかんじた。

 しばらくすると、海が見えた。反射的に頭に「春の海ひねもすのたりのたり……」という言葉が浮かんだので、調べてみるとそれは蕪村の俳句なのだそうだった。まさにいまの状況は「春の海ひねもすのたりのたりかな」であることだな、とぼくはおもった。

 きょうは、午前中は天気が崩れていたけれど、午後にかけて、回復してくるという予報だった。穏やかに晴れた空と光る春の海、とてもいいかんじだ。

 

 熱海に着いたので、まずは昼ごはんを食べることにした。熱海では回転寿司でも新鮮な海鮮が食べられる、とインターネットに書いてあった。磯丸という回転寿司まで行くことにした。ぼくは、いつか北海道の回転寿司で新鮮なネタの寿司を安く食べるという夢があった。その夢は叶いそうにないけれど、新鮮な寿司を出す回転寿司は熱海にもあるのだ、とおもった。

 ぼくは磯丸に入ったが、寿司が回転している様子はなかった。ぼくは勘違いで、回らない寿司屋に来てしまったようだった。カウンターの席に座った。上握りを頼むことにした。千二百円くらいだった。それに、あおさのお味噌汁と、茶わん蒸しを頼んでプラス三百円くらいだった。ぼくは回転寿司に来ても十五皿は食べてしまうほうだった。これで足りるのだろうか。

 寿司はきれいに並べられて出てきたので、記念撮影をした。何を最初に食べようか迷って、青い粒々が盛られた軍艦巻きを食べてみた。粒々がものすごくプチプチとしていて、とにかく新鮮なのがかんじられた。他の寿司ネタも普段食べているものより新鮮だった。身がしまっていて、味がしっかりしていたような気がする。とてもおいしい。茶わん蒸しはよく出汁が効いていて、底にちいさな貝柱が入っていた。

 最近のぼくは東京でも寿司をよく食べていた。それはスーパーの寿司や、チェーンの回転寿司のことが多かった。ぼくはメンタルの調子が悪くなると、寿司が食べたくなるという奇病に罹っていた。熱海に来たことで、ちゃんとしたおいしい寿司が食べられてよかった、とおもう。

 

 寿司屋を出たぼくは、すぐそこにあった商店街に沿って歩いた。商店街は明るい雰囲気があり、賑わっていた。歩いているのは若者が多かった。通りに沿って、椅子がたくさん置いてあって、一休みしているひとも多かった。今回の旅の目的はボンネットという喫茶店に行くことと、海を見ることだった。ボンネットは、三島由紀夫や、谷崎潤一郎がよく来ていたという話を聞いた。

 ぼくは長い商店街を下って行った。両脇には海鮮の食べられる店、饅頭や干物などの店が並んでいた。商店街を抜けて、さらに海の方に向かって下りて行った。早い桜が咲いていた。これは桜にしてはピンクが濃いから桃の花かもしれない。でも、ぼくは植物のことはあまり詳しくない。

 ぼくの前を白いティーシャツを着て、デニムのズボンを履いたカップルが歩いていた。ふたりとも白いティーシャツで、デニムのズボンだった。ふたりは手をしっかり繋いで、坂を下りて行った。ぼくは片手にスマートフォンを持って、ボンネットまでの地図を見ながらその後を歩いた。後ろから、すらりとした女の子がふたり歩いてきてぼくを追い越して行った。

 坂を下りきった辺りでまた、いろんな店が密集しているところに出た。その辺りにはちょっと洒落たかんじの海鮮レストランが多かった。若者やカップルがレストランの前に列をつくっている。海がすぐそこにあるのがわかった。

 ぼくはしばらく道に迷ったけれど、無事にボンネットにたどり着いた。でも、よく見ると扉の所に「ただいま満席です」と書かれた札が下がっていたので、後で来ることにした。ぼくはサンビーチに向かって歩いて行った。

 

 海はいつも、ぼくを落ち着かない気持ちにさせる。ぼくはサンビーチの砂浜を歩いた。歩きにくかった。海辺には若者の群れや、カップルしかいなかった。ぼくのように、ひとりで歩いているひとはほとんど見かけなかった。ぼくは海に来ても解放感のようなものを味わうことはない。海に来ても、たのしいという気持ちにはあまりならない。海に来たからという理由で、何か感動しなくてはいけないような気がして、それが窮屈なのだ。

 ぼくは砂浜から少し上がったところのベンチに座った。そして、そこでツイッターを開いた。スマートフォンの液晶は日の光のせいで見えにくくて、ツイッターをするのはたいへんだった。フォロワーがいつものようにそれぞれの日常を送っていた。それを見たとき、普段とは違う場所にいる自分をかんじた。きょうのような日帰りのささやかな旅行にも、非日常感はあるものだ。

 

 ぼくは海から戻ってきて、喫茶店ボンネットに入った。店員のお爺さんがぼくを気味悪そうに見た。ぼくは、普段はチェーン店にしか入らないが、たまに個人経営の店に入ると、「何だコイツは」みたいな眼付で見られる。なぜなのかはわからない。ぼくがあまりにも個人経営の店に入り慣れていないので、そういうオーラが出てしまうのかもしれない。あるいは、もともとぼくにはどこか気味の悪いところがあるのかもしれない。でも、ぼくはとくに他人と変わったことをしているつもりはないのだ。

 ぼくはアイスコーヒーを注文した。喫茶店ボンネットのなかは薄暗くて、陽気な雰囲気のジャズが流れていた。店の奥には大きな鏡があって、それがもともと細長い店のなかをさらに長く見せていた。ショーケースのなかには白雪姫の小人がいた。椅子は古くて、革張りだった。ぼくはそこに座っているあいだ、かつてないほどリラックスした。とても居心地がいいな、とおもった。いつものぼくはコメダ珈琲店によく行っているが、コメダ珈琲店より居心地がいいかもしれない。

 スマートフォンのバッテリーの残量が少なくなってきていた。旅行に行く前、支援者のTさんに、熱海に行くことを話したら、温泉に入れる宿を教えてくれた。そこに行って、一風呂浴びようかな、という気持ちもあったが、ぼくはどちらかというと人前で裸になるのが苦手な方だ。とくに太ってきてからは恥ずかしいという気持ちが強くなった。だから、温泉に入るのには気合いがいる。その気合いが自分にはあるのだろうか。そう考えると微妙だった。

 若者が三人、入ってきて、ぼくの前の方の席に座った。若者たちは店の中央にあるショーケースの中にあったティーシャツを試着させてもらっていた。若者たちは店員のお爺さんを「お父さん」と呼んだ。お互いに試着した姿を見せあって、「かわいい」とか、「でも小さくないか」みたいなことを言い合っている。店員のお婆さんが「最近の男の子はみんなカッコいいから」と、言いそうなことを言っている。ぼくはそれを少し離れた場所から見ていて、自分はとてもああいう風に気安くひとと話せないとおもった。

 喫茶店ボンネットは十五時で閉めるということだった。居心地がいいのでもっと居たかったけれど、ぼくはもう一度、サンビーチで海を見ようとおもった。海に来ることなんて滅多にないのだ。

 

 そうは言っても、ぼくはやはり海がとくに好きだというわけではない。でも、そのことを認めるのがなんとなく嫌だった。海をわかりたいという気持ちがあった。

 ぼくは海辺から上がる階段の途中に腰掛けて、ツイッターを開いた。ツイッターを見ながら海を見た。こういうときでもスマートフォンを手放すことができない。ツイ廃は海に来てもツイ廃だ、とおもった。

 若者たちが遠くの方で叫んでいる。お調子者が服を脱いで海に飛び込んだ。ここら辺には実際の話、若者しかいない。若者の群れとカップルしかいない。ぼくのようにひとりで海を見ているロマンチックな中年、みたいなかんじのひとはいない。若者向きの海なのかもしれない。チャラチャラした若者向きの安っぽい観光ビーチなのだ。ぼくが座っている階段の辺りにも男の子の集団が来て、半裸になって相撲をとりはじめた。全然おもしろくない、という気がした。

 それにしても海は大きな存在なので、その傍にいると疲れるということが言える。ぼくはツイッターに次のように投稿した「海よ、聞いてくれ。おじさんには恋人がいないんだ」。そろそろ時刻は十六時だった。家まで三時間はかかるので、帰ってもいい時刻だ。ぼくは海を後にした。

 

 来たときと同じ道を引き返した。熱海は街並みがやはりかわいいという気がする。ビーチの前のレストランが密集した辺りを抜けて、坂を上る。ツイッターのフォロワーに、熱海に行ったら干物を買うのがいいと言われたので、途中の商店街でサバの西京漬けを買った。街は誰もかれもが誰かと歩いていて、ひとりで歩いている人間がそもそも珍しい。熱海なんてひとりで来る場所ではないのかもしれない、とぼくはおもった。

 帰りの電車が発車する直前にスマートフォンの充電が切れた。それから、ぼくは各駅停車の電車に乗って、長い時間をかけて品川まで帰った。その間は、小島信夫の『抱擁家族』の続きを読んでいた。電車内は仕事帰りのサラリーマンが多かった。

 

 熱海は自分にとって憧れの町だった。でも、実際に行ってみるとそんなでもなかった、という気がする。熱海は良くも悪くも観光地で、ひとりで行くと寂しい、ということを学んだ。

 今回は熱海の表面だけをなぞって通り過ぎたのだ、とも言える気がする。熱海にはもっとマニアックで心惹かれるスポットもあるのだろう。しかし、残念なことにぼくにはそこまで深堀りするだけの力がなかった。これはどこに行ってもそうなのかもしれない。どこに行ってもぼくは表面を撫でるようなことしかできないのかもしれない。

 熱海に行った次の日、ぼくはバイトを途中で早退した。疲れていたのだとおもう。ちなみに、熱海旅行には一万五千円弱しかかからなかった。五百円玉貯金でじゅうぶん、熱海に行くことができるのがわかった。

ボンディに行った話

 Sちゃんと神保町で遊んだ。ぼくは神保町にはほとんど来たことがない。神保町はカレーと古本屋の街、というイメージだった。以前、ユーチューブでピース又吉がそう言っていた。はるかむかしに、一度だけ神保町に来たことがあるような気がした。そのときは柴田聡子のライブがあったんだっけ、あれはどこか別の場所だっけ。忘れてしまったな。ぼくはカレーをたのしみにしていた。古本よりはカレーをたのしみにしていたのだ。ボンディという有名な店でカレーを食べることにした。

 ぼくはインターネットで調べものをするのも、地図を読むのも苦手だった。Sちゃんだってそういうことが得意なわけではないだろう。でも、だいたいのことをSちゃんに任せてしまった。ボンディの場所もよくわかっていなかった。わかっていたのは、ボンディではカレーの前にふかしたじゃがいもを二つ出してくれるというようなことだ。それは調べて知っていた。カレーの前にじゃがいもを出してくれるなんて気が利いている。

 

 Sちゃんとぼくは駅の出入り口で待ち合わせして、ボンディまで来た。Sちゃんは短歌が上手で占い師を目指している二十代後半の女性で、いまは彼氏と同棲している。そろそろ結婚の話も出ているようだ。Sちゃんとはツイッターで知り合って、もう三年くらい経った気がする。はじめて会ったとき、Sちゃんはけっこう髪の毛が長かったけれど、いまは髪の毛は短めで少し茶色に染めている。おもえばSちゃんはあか抜けたとおもう。それに比べて、ぼくはぜんぜんあか抜けないし、少しずつ太ってきている。ぼくには何もおもしろいところはないのに、Sちゃんのような素敵な女性に遊んでもらえるのは嬉しいことだ。

 

 ぼくたちはボンディでカレーを食べるために行列に並んだ。何かを食べるために行列に並ぶなんてことは、ぼくには滅多にないことだ。

 Sちゃんは少し緊張しているようだった。それはぼくも同じだった。お互いにいろいろ話題を考えて、それを口にして沈黙をやり過ごした。行列に並びながら、お互いの緊張を解くために話題を考えて、それを話すのはけっこうたいへんだった。Sちゃんは「ねむらない樹」という短歌の雑誌を見せてくれた。笹井宏之賞の結果発表がのっていて、Sちゃんも応募したらしいけれど、ぜんぜんダメだったみたいだった。ぼくはキンドルの話をした。この前、給付金で十万円もらったから、それでキンドルを買おうか迷っているのだ。

 ボンディからはいい匂いがしていて、期待が高まった。でも、実を言うとぼくはお腹が空いていなかった。それなのに、Sちゃんに「お腹は空いていますか?」と聞かれて、「空いてます」と答えた。実は朝、謎に張り切って生野菜のサラダをつくって食べたんだけれど、それがおもったより腹持ちがよくてぜんぜんお腹が空かないのだ。いつもはそんなことはしないのに。Sちゃんは普通にお腹が空いているみたいだった。

 やがて店員さんが注文を取りに来たので、ぼくはチキンカレーの中辛を頼み、Sちゃんは悩んだ末にビーフカレーの辛口に追いチーズを頼んだ。二十分くらい並んで、ぼくたちは店内に入った。店内にはけっこうひとがいた。ぼくはツイッターのフォロワーがどこかにいるのではないかという気がして、店内を見回した。なんとなくフォロワーのように見えるひとはいたけれど、そんなことはわからない。

 じゃがいもの皿が来てしばらく経って、カレーが来た。ごはんとカレーは別々になっていた。ごはんの真ん中にはちょっとチーズがかかっていて、漬物とカリカリの梅干しがついていた。カレーにカリカリの梅干しがついているところに独自のこだわりがかんじられる。ルーには大きなチキンが入っていた。ぼくはせっかく別々になっていたカレーのルーを一気にごはんにかけてしまった。

 ぼくたちは「おいしいですね」と言い合いながら、カレーを食べた。でも、ぼくは、そこまでおいしいとおもっているわけではなかった。有名なカレー屋のカレーだから、おいしいと言っている、という面が強かった。これをおいしいと言わなければ、自分は舌がバカなのだとおもわれる、という見栄があった。決して、おいしくないというわけではないけれど、その良さが自分にはあと一歩わからないのだった。実際に、ぼくは舌がバカなのだ。Sちゃんはおいしそうに食べていたとおもう。ぼくは舌がバカだからわからないけれど、ボンディのカレーはおいしいらしい。

 カレーを食べ終わって、席を立ったとき、右側の壁がモノクロ写真になっているのに気がついた。それは有名な写真家の森山大道の有名な犬のスナップ写真だった。ぼくは、Sちゃんに、「これは森山大道ですね。気がつきませんでした」と話した。すごく大きな写真が側にあったのにぜんぜん気がつかなかったのが不思議だった。神保町のボンディには森山大道のようなセレブも来るのかもしれない。本人が写真を引き伸ばして、ボンディに寄贈したのかもしれない。これは想像なので、実際のところはわからない。

 

 ボンディを出た後、ぼくたちは商店街を歩いた。ぼくたちはカレーを食べたせいで喉がガラガラしていて、たまに咳き込んだ。

 Sちゃんの提案で、写真集や画集のある古本屋に入って、写真集を見た。いろんな写真集があった。Sちゃんは石内都の写真集を見つけて来て、「好きなんですよね」と言っていた。趣味がいいなあ、とぼくはおもった。ぼくは、もともと学生の頃は写真の勉強をしていたということもあって、ちょっと見栄を張りたくなって、知っている写真家の写真集をSちゃんに教えた。しかし、ぼくが気になっている写真集はなかった。Sちゃんは、猫の写真集を出してきて「かわいい」と言いながら見ていて、ぼくも見ていたら、「犬派でしたっけ?」と聞かれたので、「犬派だけれど、猫が嫌いなわけではないよ。猫、かわいいよね」と答えた。しばらくすると、Sちゃんは「絵を見てきます」と言って、画集のある方に行ってしまった。ぼくはしつこく写真集の棚の辺りで、自分の好きな写真集を探していた。でも、なかった。Sちゃんの方に行くと、「絵には興味がないですか?」と聞かれたので、「そんなことないですけど」と言った。何でそんな風に言うのかわからないので、ぼくのツイッターのタイムラインには画家が多いのだ、という話をした。後で考えてみると、Sちゃんは画集の棚の方にぼくがなかなか来なかったから、ぼくが絵には興味がないとおもったのだろう。

 

 ぼくたちは喫茶店でゆっくりするためにまた歩いた。何軒か見て回って、そのうちの一軒に入った。アイスコーヒーを注文した。

 ぼくは喫茶店に入ったらSちゃんに絵日記を見せるつもりだったので、そうした。ぼくの絵日記を見て、興味を示さないひとはあまりいない。いままでの経験ではそうだった。でも、Sちゃんはあまり絵日記に興味を惹かれなかったみたいだった。「熊野さんの絵日記を見たから、わたしのも見てください」と言って、笹井宏之賞に応募したという短歌五十首を見せてくれた。ぼくはSちゃんのスマートフォンを手に取って、それを読んだ。正直に言って、いきなり心の準備もなく、五十首の短歌を読むのはしんどいし、それについていいかんじの感想を返さなくてはいけないというプレッシャーもあった。ぼくは集中した。そして、なんとか感想らしい感想を言った。それはつまり、一首一首の短歌のテーマが独立していて、それぞれにつよいイメージ力があるというような内容だった。Sちゃんは、それは、実は自分がこの連作をつくるときに意識したことなのだ、と話してくれたので、ぼくは少しホッとした。まったく見当違いのことを言ったわけではなかったのだ。それから、Sちゃんは「ねむらない樹」を出して、笹井宏之賞の受賞作品を見せてくれた。「ノウゼンカズラ」というタイトルだった。ぼくはまた集中して、その連作を読んだ。そして、徐々に引き込まれていった。この日、いちばん、何かに興味を惹かれたのはこの「ノウゼンカズラ」という連作だったのかもしれない。かなりよかった。何がいいのかうまく言葉にできないけれど、「ノウゼンカズラ」には犬と妹がよく出てきて、どこかそれぞれ意外性があって、作者はたぶん、犬と妹が好きなのだろうとかんじた。

 

 ぼくたちはアイスコーヒーを飲みながら、いろんなことを話した。最初は緊張していたSちゃんもリラックスしているように見えた。リラックスしているSちゃんはいいかんじだな、とおもった。一方のぼくは目がしばしばしていた。ドライアイが酷くなってきていた。そのことを言った。「きょうは花粉が酷いのかな?」というようなかんじだ。でも、花粉はあまり飛んでいないと前日の天気予報で見たのをおもいだした。

 ぼくたちはアイスコーヒーの後、それぞれ一杯ずつ梅酒を飲んで、それから駅まで行って解散した。まだ早い時間だったけれど、この後、とくにすることもおもいつかなかった。

 ぼくの目はSちゃんと解散してからしばらくすると、しばしばしなくなった。ひとは緊張すると、喉が渇いたり、目が渇いたりするらしい。Sちゃんといっしょにいる間、ぼくは緊張していたのかもしれない。ぼくはSちゃんが苦手とか、そういうわけではなく、むしろ好きだ。それでも、誰かとこんなに長いあいだ話したのは久しぶりだったので、緊張して目が乾燥してしまったのだろう。ぼくはだんだん瞬きが少なくなってきた目で、電車から見える午後の景色を見ていた。

二月三日の話

 この前、誕生日だった。ぼくの誕生日は二月三日なので、それはもう二十日くらい前の話だ。

 ぼくは三十五歳になった。三十五歳は立派なおっさんだ。ぼくは三十五歳の誕生日をなるべくハッピーに過ごそうとおもった。それで、二月三日の朝に支援者のTさんに電話した。

 ぼくは新しい職場に入ったばかりで、そのお祝いをTさんからしてもらう予定だった。回転寿司に行く予定があった。でも、それとは別にきょうが誕生日だということを伝えると、Tさんは仕事としてではなく、プライベートの時間をつかってお祝いしてくれると言った。こういうとき、Tさんはほんとうにいいひとだとおもう。Tさんには人情というものがある。

 仕事の後で、はま寿司に行くことになった。

 その他にも、ぼくは自分に誕生日プレゼントを買うことにした。何にしようかと考えた結果、哲学者のシモーヌ・ヴェイユが自分と同じ二月三日生まれだということをおもいだした。何か縁をかんじると前からおもっていて、いつかはヴェイユの本を読もうと考えていた。これを機会にヴェイユの本を買うことにした。

 Amazonで、シモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』を買った。この本は哲学の本だけれど、ベストセラーになったらしい。ベストセラーなら、自分のようにあまり頭のよくない人間でも読めるかもしれない。でも、やはり読めないかもしれない。それは読んでみないと何とも言えない(まだ、読んでいない)。

 ツイッターに、きょうが誕生日だとツイートすると、たくさんのフォロワーがお祝いのリプライをくれた。ぼくはリアルでは、孤立しているけれど、ツイッターでは人気がある方だ。いろんなひとから祝われるのは嬉しいことだとおもう。ぼくも他のひとが誕生日のときは、ひとことでもいいからなるべく「おめでとう」と言おうとおもった。

 その日は普通にバイトだった。ぼくは主にお店の倉庫で仕事をしている。商品の入った段ボール箱が届くので、それをカッターで開けてカゴに仕分けをする。それの繰り返しだった。その日は、たくさんの段ボール箱が届いたけれど、退勤の時間ギリギリにぜんぶ仕分けすることができた。間に合うか間に合わないか微妙だったけれど、間に合った。それは、きょうが誕生日だからかもしれない。

 他には、バイトの女の子が「熊野さん、お疲れ様です」と言って、ニッコリしてくれた、という小さないいこともあった。

 なんとなく、いいことが重なっている気がした。

 それはきょうが誕生日だからかもしれないが、やはり人間は、自分の誕生日のような日には自然と気合いが入って普段はできないことや、めんどうくさくてあえてしないことまで出来てしまうのかもしれない。だとしたら、とくに誕生日とかではなくて、普段の何でもない日でも、後ほんの少しだけ気合いを入れれば、すばらしい一日に変えることができるのかもしれない。

 ぼくはバイト先から電車ではま寿司に向かった。支援者さんとの待ち合わせ時間の十五分くらい前に着いたので、先に席をとっておくことにした。

 最初、座った席には、よく見ると注文用のタブレットがなくて、向こう側にあった。ぼくは、きょうは誕生日だということもあって、Tさんに注文してもらってもいいかもしれない、とおもった。でも、だんだん居心地が悪くなってきたので、自分で注文を取ることにしようと考え直して反対側の席に移った。

 すると、他のお客さんが並んでいるのが目に入った。レジの前から列ができている。並んでいるお客さんと目が合った。なぜ、こんなにお客さんがレジに並んでいるのだろう。そう考えて、ぼくは二つ可能性をおもいついた。一つ目はきょうが二月三日だから、恵方巻を予約したお客さんが並んでいるという説で、もう一つは単純にコロナ禍だから、寿司をテイクアウトするために並んでいる、という説だった。二つ目の説が正しい場合、ぼくは少し居心地が悪いな、とおもった。

 やがて、Tさんが来た。Tさんはこの前、六十歳になったらしい。でも、髪の毛は黒いので、たぶん染めているのだろう。Tさんは、いいかんじのおばちゃんだ。Tさんは席に着くと、ぼくの前にあったタブレットを取り外して、自分の側に移した。タブレットが取り外せることにぼくは気がつかなかったのだ。「きょうは奢りますよ」とTさんは言った。Tさんは人情があるし、太っ腹だった。どちらもいまどき珍しい美徳だ。

 Tさんの話のなかで、二十日後のいまも印象に残っているのは、Tさんが夜更かしをしてゲームをしたり、漫画を読んだりしているという部分だ。ぼくにはそういうところがないので、人生をたのしんでいるかんじがして羨ましい。

 Tさんは、いまは離婚して独り身だけれど、結婚していたこともあって、娘がふたりいる。上の娘はぼくと同じくらいの年齢なのだそうだ。Tさんがいつまで経っても若者のようなかんじなので、娘からは少し信用がないけれど、「お母さんはそのままでいいんだよ」とも言われると言っていた。すばらしいな、とぼくはおもったので、そう言った。すばらしいですね。Tさんは、その日はLINEでも宣言した通り、仕事の話はあまりしなかった。

 ぼくたちは寿司を食べて、酒を飲んだ。Tさんはお腹が空いていたらしくて、かなり食べた。ぼくよりたくさん食べた。ぼくは人前では割と食欲が減るほうだ。ブラックニッカの薄いハイボールを四杯くらい飲んだ。Tさんは一杯しか飲まなかったけれど、じゅうぶん陽気だった。

 もう二十日前のことだけれど、すごくいい一日を過ごせたとおもう。ぼくは三十五歳の誕生日に、家族からは何もしてもらっていない。でも、満足したので、何も不満はない。

 Tさんに時間をとって相手をしてもらったのも嬉しかった。ぼくは、普段も寂しくなると、何かと用事をつくって支援者のTさんに電話しがちだけれど、この日たくさん話したので満足してしばらくは電話をかけなかった。このことからわかったのは、ひとはじゅうぶん愛情をかけてもらえると、けっこう満たされるので、そんなに寂しいと言わなくなるということだった。

永遠の午後は果物の匂いがした

こんな詩はたいした詩ではないんだよ

こんな人生は

たいした夢ではないんだよ

 

ぼくは誰にも愛されなかった

季節だけが速足で通り過ぎて行く

誰にも愛されなかった日々は

魂に刻まれて傷のようになった

 

ぼくの顔は皺に覆われていった

朝になってもなにもおもいだせない

自分がどこの誰だったかなんて些細な問題だ

幽霊のように心だけで生きていた

鏡のなかで

奇妙にあかるい顔をしていた

 

灰色の街が水色の空に沈んでいくのを見ていた

永遠の午後は果物の匂いがした

とても穏やかな気持ちだ

約束は破られて

言葉は石になる

退屈がうつくしい獣のように寝そべっている

 

生まれてから死ぬまで

いちども生きることなく

ぼくは死んでいく

あなたはきっとぼくを忘れるだろう

 

もしもどこかで再会しても

あなたはぼくがわからない