ミツオ日記

自称詩人 熊野ミツオの日々

2022年5月2日(月)

 きょうは映画を見に下北沢まで行こうかとおもっていた。友人に勧められた映画を見よう、とおもっていた。下北沢にはコメダ珈琲店があるらしいので、映画の時間までコメダ珈琲店に居ればいい。ツイッターを見ていたら、夕方から雷雨という情報があった。混んでいる電車に濡れた傘を持って乗る不愉快さをおもうと、きょうは下北沢までは行けないという気がしてきた。その程度のことで遊びに行くのを止めてしまうのもどうかとおもったけれど、なんとなく嫌な予感がしてきたので映画はあきらめることにした。

 

 玄関に段ボール箱を放置していた。中にはAmazonから届いた新品の掃除機が入っていた。届いたのはいいけれど開けるのが面倒で放置していたのだ。それを、開けた。説明書を見ながらノズルやホースをカシャカシャと組み立てた。こういうとき、普通は説明書を読むものなのだろうか、と悩んだ。さすがにいちいち細かい部分までは読まなかったけれど、大文字の部分は読んで、だいたいのところを把握した。その作業が面倒くさくて、だるい気分になってしまう。

 ぼくの家にはいままで掃除機がなかった。ひとり暮らし八年目で、いまの家に越して来てから三年くらい経っている。でも、その間は掃除機なしで、床の埃はクイックルワイパーでとっていた。ぼくは面倒くさがり屋なのであまり頻繁に掃除をしなかった。クイックルワイパーもあまりしなかった。そのお陰で、畳がどんどん埃っぽくなって、部屋の隅には灰色の綿埃の塊が出てきていた。なんとなく、風呂に入って耳の後ろを触ると、埃がついていることもあった。不潔だ。

 ぼくが掃除機を買う気になったのは、貧困世帯に配られた十万円の給付金のお陰だった。五万円を貯金して、残り五万円で経済を回そうとおもったのだ。掃除機は一万五千円だった。他にはマッチングアプリに一万五千円課金した。まだ、二万円は残っている計算だけれど、使い道は決めていない。それくらいのお金は生活をしているうちに溶けてしまうものかもしれない。

 掃除機を組み立て終わったのでコードを伸ばしてコンセントに繋ぎ、スイッチを入れた。Amazonのレビューでは性能はいいけれどうるさいというレビューが多かった。たしかに音は大きいような気がした。

 掃除機の先を近づけると、埃がぷるぷると震え出して、次の瞬間にはノズルに吸い込まれていった。クイックルワイパーで拭いてもとれない埃が一瞬で消えた。気分がよくなってきた。部屋の隅にあった綿埃の塊や、押し入れの中の埃も吸い込んだ。キッチンのフローリングやトイレの床もきれいになった。

 

 映画に行かないことに決めたので、いつもの休日のように近所のコメダ珈琲店と回転寿司をはしごすることにした。夕方の雷雨に備えて、長い傘を持って家を出た。Amazonからメールが届いていて、「ココア共和国」の五月号が届いたのがわかったので、一階まで下りたついでにポストを開けて包みを回収した。空を見ると遠くの方が暗くて、大雨が降っている気配がした。

 コメダ珈琲店Amazonの包みを開けて、「ココア共和国」五月号を取り出した。いつもは佳作に選ばれることはあっても、傑作選に選ばれることはない。選ばれたのは一年ぶりくらいだとおもう。自分の詩が紙の本にのっているのは嬉しいものだ。『春の孤独死』という詩で、九十ページにのっている。しばらく「ココア共和国」五月号を持ち歩いて、会った人に自慢したい。

 きょうは「ココア共和国」五月号の他にも、千葉雅也の『現代思想入門』と、若松英輔の『本を読めなくなった人のための読書術』を持っていたので読むものに困らなかった。『現代思想入門』は後少しで読み終わるので、『本を読めなくってしまった人のための読書術』の方も少しずつ読みはじめた。これはいまの自分が求めていた本だという気がした。ぼくは、しばらく前から本がおもうように読めなくなっていた。読書というのは、基本的にひとりの時間だ。本を読むことはひとりになることだ。

 

 アイスオーレのたっぷりサイズを飲みながら本を読んでいると、店の扉が開いて、おじさんが入ってきた。おじさんは大きな声で言った。「虹が出ているよ。大きな虹だよ。しかも、二重に出ている」。店員の女性は適当に相槌を打って、笑い声を出した。「大きな虹だよ。しかも、二重に出ている。外に出て来なよ。見ないと勿体ないよ」とおじさんは続けた。店員の女性は笑い声をあげたけれど、外に出ようとはしなかった。当たり前といえば、当たり前だった。仕事中なのだ。おじさんは不満そうだったけれど、外に出て行った。

 ここで仕事中なのにも関わらず虹を見に外に出ていくようなひとは社会人失格だけれど、そういうひともいいな、とぼくはおもった。わけのわからないおじさんもなかなかいい。でも、やはり「ちゃんとした大人」であるためには虹を見に外に出て行ってしまってはいけない。難しいところだとおもう。でも、なんて言うか、虹なんて所詮、虹なのだとも言える。こうしてひとは大人になっていくんだな、とぼくはしみじみとおもった。

 

 ぼくはコメダ珈琲店を出て回転寿司に行くために外に出た。雨はぼくがコメダ珈琲店にいる間に降って、もう止んだようだった。路面が濡れて夕方の光を反射していた。うつくしい。

 ぼくは回転寿司に入って、十五皿食べた。それから、すっかり暗くなった夜の道を家まで帰った。雨はおもったほどではなかったので、きょうは映画を見に行くべきだった。ぼくは間違った方を選んでしまった。家の近所のコンビニの裏の暗い道を歩いているとき、周りにひとがいなかったのでマスクを外してみた。雨に洗われた空気が、鼻や口にひんやりとして気持ちがよかった。