ミツオ日記

自称詩人 熊野ミツオの日々

ひとり飲みは判断の連続だ

 四連休の四日目の夜になった。四連休はもう終わったと言っていいだろう。でも、まだ少しだけ残っている。その時間をつかってブログを書くことにした。

 さっきまでぼくはお風呂に入ることができずに困っていた。お風呂を沸かしはしたものの、入ることができなくて畳に寝そべってツイッターを見ていた。ローリングストーンズの音楽を流していたんだけれど、だらだらしているうちにアルバムが一枚終わってしまった。
 最近は意志の力が弱まっていて、お風呂に入るのにいつもより時間がかかる。意志の力が弱まっているので、たとえば連休中に餃子を四十個つくってそれを冷凍しておこうとおもってもできなかったし、映画を見ようとおもっても見られなかった。頭でこれからこういうことをしようと計画を立てても実際にそれができない。
 たぶん、ぼくは心の底から餃子を四十個つくりたいわけでも、映画が見たいわけでもなく、お風呂に入りたいわけでもなかったのだろう。
 それでも、お風呂には入った。九月になっても相変わらず暑いので、お風呂から出ても汗が噴き出してきて、なかなか止まらず気持ちが悪い。
 四連休、最後の夜なのに食べるものがなかった。
 それはさっきも書いた通り、意志の力が弱まっているからで、献立を頭のなかで考えて、その計画に基づいてスーパーまで行って食材を選んで買ってくる、ということができなかったからだった。
 ぼくは服を着て、近所のコンビニまで行った。汗ばんだ身体に夜風が気持ちいい。ぼくは頭のなかでコンビニではだいたい八百円くらいかかるだろう、というようなことを考えた。実際にそうだった。ぼくはデカいおにぎりを一個と醤油味のカップ麺とアイスのピノを買った。七百五十円くらいだった。

 こうしてブログを書いていておもったのは、人間はみんな、ぼくみたいにいろいろなことをいちいち計画して、考えてからそれをしているのだろうか、ということだった。

 たとえば、ぼくは平日、アルバイトがある日などは、仕事をしながらもなんとなく帰りにスーパーで何を買うか考えている場合が多い。それは普通のことなのか、それとも珍しいことなのか。普通のひとはその日の献立のようなものはスーパーに行ってからその場で決めているのかもしれない。
 実家にいたとき、母が料理をしているのを手伝っていたとき、母はその日の献立をほとんどつくりながら決めているように見えた。ぼくにはそういうことはできない。事前に計画を練る必要がある。
 これはぼくが自閉症スペクトラム臨機応変な行動が苦手、ということから来ていて、実はそれが脳の疲労の原因になっているのかもしれない。この考えは自分のなかでは新しいおもいつきだとおもう。普通に生活をするためにも事前に頭のなかで何度もシミュレーションする必要があって、その負荷のせいで、脳が疲れるのかもしれない。そして、脳が疲れた結果、意志の力が弱くなって何もできなくなってしまうのかもれなかった。

 そのことでおもいだしたのは、きのうしたひとり飲みのことだ。ぼくはひとり飲みが苦手だ。そのことに気がついたのも最近だった。
 それはなぜかと言うと、ひとり飲みということが基本的に判断の連続だからだ。どの店で飲むか、何を飲むのか、どれくらい飲むのか、つまみは何にするのか、その結果いくらくらいかかるのか、二軒目はどうするのか、または家に帰るのか、みたいなことで頭のなかがぐるぐるしてしまう。
 スマートにひとり飲みをすることは意外に難しいことなのだ。

 きのうは、最初はなんとなく散歩に出るだけのつもりだったのにいつのまにかひとり飲みになっていた。
 そのときは、お腹が空いたという気持ちと、喫茶店的なところで書きものをしたいという気持ちが両方あったので、まず喫茶店に入った。お酒もある喫茶店だったのでハイネケンを頼んだら七百三十円だった。高いとおもった。でも、基本的に街に出て酒を飲む、みたいなときにケチっていてはたのしめない。せっかくひとり飲みをするのだからたのしい気持ちで飲みたい。ケチケチするのはやめよう、と決意した。でも、その決意はすぐにグラグラした。
 書きものをするためにノートを出して、ハイネケンを少しずつ飲みながら考え込んでいたら、近くの席にいた学生たちの間から「ポエム」とか、「ポエマー」とかいう言葉が聞こえてきた。ぼくは嫌な気分になったけれど無視して集中しようとした。いまはポエムというよりかは短歌を考えていた。何もおもいつかなかった。こんな風に混んでいる喫茶店で、意地悪で、野蛮で、暇を持て余している大学生たちに見られながら書きものをすることはできない。ハイネケンはすぐになくなったので二軒目に移った。

 二軒目は中華料理屋で、以前、ツイッターのフォロワーと入ったことがあった。フォロワーといっしょに入ったときは餃子二十個の大皿を食べたけれど、さすがにひとりで二十個は食べられない(その気になればもちろんいけるだろうけれど)。パクチー餃子の値段が手頃で、量も丁度良かったのでパクチー餃子と黒ホッピーを頼んだ。すると調理場の方で、「おえっ」という声が聞こえた。パクチーが苦手なんだな、とおもった。それでもなんとなく嫌な気分になった。
 中華料理屋の店員さんはくつろいでいておおらかなかんじの髭面の男性だった。だいたいぼくはこういう居酒屋の店員に多くいる誰にでも気安く話しかけて、すぐに仲良くなってしまう、みたいなタイプのひととは合わない。学校で同じクラスにいても絶対に友だちになれないとおもう。世界観が違いすぎるのだ。というか、どちらかというとぼくが場違いなのだろう。
 ぼくという人間と居酒屋という場所が、水と油のように混じり合わない。ぼくがひとり飲みに向いていない理由にはそれもあるとおもう。

 ホッピーのなかの焼酎がかなり多かったので、その店を出る頃にはけっこう酔っていた。それなのに真っ直ぐ帰りたくなかった。
 電車で家の近くまで帰ってきてから近所にできたガストに入った。このガストは以前あったレストランがなくなって、その代わりにできた店だった。ガストでしめにごはんを食べた。寒々とした気持ちだった。最近は酔っ払ってもぜんぜんたのしい気分にならない。ぜんぶが間違いだったのだという気がする。

人生の岐路

 自分の真実、やりたいことはなんだろうか。最近はなんだかお風呂に入るだけのことにも酷く時間がかかってしまう。意志の力が弱まっている。

 ぼくはいま、三十六歳で将来について悩んでいる。つまり、詩人になるか、歌人になるか、小説家になるか、絵日記職人になるかだ。そう言うとずいぶんお気楽なようにおもわれるかもしれない。でも、これは実際にそうなのだ。
 ぼくは、人間の生活の大きな要素であるラブとジョブ、つまり恋愛と仕事に失敗した。そうなると人生に張りというものがなくなった。三十六歳で隠居のような生活だ。だから、これからの選択肢についても必然的に浮世離れして、お気楽なムードが出てしまうのだ。
 まあ、それはそれでいいことだろう、という気もする。ラブとジョブがうまくいって、毎日不機嫌な妻や、生意気な子どものために少しでも銭を稼ごうとして馬車馬のように働く、みたいなそういう生活をしないで済んだのだから。その代わり孤独だけれどね。
 ひとはぼくをファンシーな中年だとバカにするかもしれない。でも、そういう風にバカにしてくるひとがぼくよりマシな人生を送っているとは限らない。ぼくは浮世離れした中年だ。最近はひとから熊野さんは妖精っぽい、みたいなことを言われるようになった。中年になって妖精っぽさが出てきてしまった。研ぎ澄まされてきているのだろう。

 話は戻るけれど、将来の話だ。詩人になるか、歌人になるか、小説家になるか、絵日記職人になるか。
 こうして人生の岐路に立ってみて気がついたけれど、ぼくには内から湧き出る情熱というものがない。情熱というか、これがやりたいという欲望がない。もっと言うと、これをしているときがたのしいんだという感覚が麻痺している。だから、選択に悩んだとき、いつまでも迷い続けることになる。
 LINE友だちに熊野さんは寺山修司ジャン・コクトーのようにいろんな方面で才能を発揮していると褒められた。でも、正直言ってぼくはそんなに器用な方ではない。
 いまは、詩と短歌と小説と絵日記を同時にやっている。どうしてぼくは迷っているのだろうか。それぞれの分野にそれなりの才能があって、褒めてくれるひとはいる。でも、たぶんそういう問題ではなくて、内から湧き出るパッションがない。ひとはそう言うかもしれないけれど、ぼくはこっちに行きたいんだという気持ちがない。

 それには、意識して自分のことを知ろうとしなくてはいけないのだろう。自分と向き合う。そういうことを言う奴をどこかでバカにしていたけれど、ぼくもそれをやる必要が出て来たのだ。そういうことだろう。

 いまは四連休の二日目だ。きのうは台風の影響で一日じゅう雨だった。きのうは近所のファミリーマートまでお昼を買いに行っただけで、他は家にいた。
 きょうは餃子をつくろうとおもっていた。せっかくの四連休なので家にいるのはいいとして、何かやろうとおもったのだ。餃子を四十個くらいつくって冷凍しておこうとおもった。でも、いまになってそれが嫌になってしまった。
 最近のぼくはお風呂に入るのもたいへんなくらい意志力が弱まっている。そんな人間に四十個もの餃子をつくる、なんていうしんどいことができるわけがなかった。
 しんどいという気持ち。だるいという気持ち。それがいまのぼくが真実かんじていることだった。
 餃子をつくろうとおもったのはほんとうにやりたいことではなかった。ほんとうに心の底から餃子をつくりたいとおもったわけではなかった。それは頭で考えたことだった。頭で餃子をつくったらたのしいだろう、とおもったのだ。

 それなら映画でも見るか、ともおもったけれど、たぶんこれも頭で考えたことだ。でも、映画は見るかもしれない。
 映画を見るのはたのしいことだ。どんなにつまらない映画でも二時間は映画に集中している必要がある。それがいい。つまり、自分の人生から少し距離ができる。その自分の人生から距離ができるかんじがとてもいい。

 最近はこんな風につまらないことをいろいろと考えてしまう。ほんとうのところ、ここに書くことはない。でも、こうしてどうでもいいことをブログに書くことが好きなので、書くことがなくても書いてしまう。
 自分はもしかすると、いま間違ったところにいるのかもしれない。本来の自分というものがあるとして、いまの自分はその自分からズレた自分なのだ。こういうのを「ほんとうの自分幻想」というのかもしれない。
 毎日、ツイッターを見ていると、無意識にひとと自分の人生を比較してしまう。そして落ち込むのだ。もうそういうことはやめたい。自分の軸を確立したい。それには自分と向き合う必要がある。

 いまは散歩に行きたい気持ちだ。ずっと家でごろごろしていたので身体がなまってきていて、動かしたいという欲求をかんじる。手脚がウズウズしてきた。それに外が少しずつ明るくなっていっているのがわかる。台風は過ぎたのだ。
 そうなると近所をとくに理由なく歩きたくなる。雨あがりの湿った空気のなかをイヤホンでローリングストーンズを聴きながら歩きたい。歩くことでいいアイディアが浮かぶかもしれない。
 餃子は無理でもカレーくらいならつくってもいいとおもう。

ほんとうにやりたいこと

 疲れている。誰にも会いたくないし何もしたくない。
 最近は自分の眠りが昼間関わった人間に左右されることがわかってきた。なんとなく寝苦しくて目が覚めて、自分がなぜ目を覚ましたのかと考えると、昼間会ったひとの何気ないひとことが気になって目が覚めたのだとわかる。この前はうなされていた。起きているときだったらどうでもいいとおもえるような小さなことでうなされて目を覚まして、眠気に引きずり込まれるようにまた眠ってうなされて、しばらく経つと目が覚めた。それを繰り返した。そういうのは苦しいことだ。
 ぼくは意外にどうでもいいことを気にしているのかもしれない。考えてみれば、子どもの頃のぼくは傷つきやすいところがあって、きついことを言われるとすぐ傷ついた。そういう自分のことを長い間忘れていた。

 休日になると、もう何もしたくないとおもってどこにも行かずに家にいることが増えた。
 いつまでもパジャマを着たまま布団でゴロゴロしている。ほぼ一日じゅう、本を読んでいる。考えてみれば、ぼくの父が休日はそんなかんじだった。ぼくも中年になって、親に似てきたのかもしれない。
 少し前のぼくはどちらかというと日常に刺激を求めていた。いまは、なるべく刺激を受けたくないとおもっている。昼はずっと家にいて本を読んだり、文章を書いたり、音楽を聴いたりしながら過ごし、夕方になって涼しくなってきたら散歩に出かける。それが最近の休日だ。

 八月はわりとがんばった。ぼくは一カ月に一回は有給をとりたいくらいの気持ちでいるけれど、八月は有給をとらずに耐えた。だから九月の九日の土曜日に有給をとって四連休をつくることにした。連休をとって特に何かするわけではない。誰にも会わないし、何もしない。もしかすると餃子をつくるかもしれない。でも、いまのところは餃子をつくる以外に予定はない。
 ぼくには一年に一回か二回くらい餃子を四十個くらいつくって冷凍しておいて、少しずつ食べるというたのしみがある。この前つくったときには半分くらい実家の家族にあげた。みんなおいしいと言って食べていたとお母さんは言っていた。今回の四連休で餃子が四十個できたらまた半分くらいはあげてもいい。でも、それには母に家まで取りに来てもらいたいとおもう。
 お母さんは一カ月に一度くらいのペースでぼくの家まで来て、おかずを置いて行ってくれる。でも、最近は来ない。理由は暑いからだそうだ。その気持ちはわかるけれど、餃子をつくったときくらい取りに来てほしいという気はする。まあ、でも取りに来なくてもいい。その場合は四十個ぜんぶを独り占めにするだけだ。

 毎日、真面目に働いている。朝の八時か九時くらいに起きて、一時間くらいかけて通勤して、十二時から働き、十八時に仕事を終える。そしてまた一時間かけて帰る。寝るのは二十四時くらいだ。週に四日、働いている。
 この生活は普通の勤め人に比べると余裕のある方だとおもう。でも、毎日がつまらないとおもう。
 この前、バイトの休憩時間に、休憩スペースで秘密のノートを書いていたとき、同人誌をやろうかという気分になった。中年になって同人誌をやる。それはバンドをやるようなものだ。失った青春を取り戻すために同人誌をやる。オンラインでぜんぶが済むような味気ないものではなく、喫茶店などで実際に会って、文学について語り合ったりする。文学以外にも別にどうでもいいような話をしてもいい。そういう時間から友情が生まれる。もしかしたら恋の花も咲くかもしれない。完成した同人誌は文学フリマで売る。いかれたメンバー全員でブースを設置して、接客もする。終わった後は打ち上げに夜の街へ繰り出してもいい。
 こんな想像をしてしまうのは日々がつまらないからだ。生きがいがないからだ、という気がした。それにしてもこんな歳になっても、こんな浮ついたことを考えていていいのだろうか、という気もする。いや、別にいいだろう。ぼくはひとり身で、養うべき家族もいないのだからね。いくつになっても青春なんだ。
 いや、実際に同人誌をやるかどうかはまだわからない。たのしそうだな、やろうぜ、とおもったひともいるかもしれない。そういうひとには自分が部長になってもらいたい。ぼくはまだ煮え切らない気持ちでいる。
 とにかく、毎日がつまらな過ぎて、仕事を辞めたくなってくる。でも、これはたぶん、ダメな方向だ。毎日がつまらないのなら何かたのしいことをはじめればいい。せっかく普通の社会人よりも余裕のある生活をしているのだから、そういう方向でいくのがいい。

 最近は、詩が四回連続でココア共和国の傑作選に選ばれた。でも、ぼくは自分では調子がよくない気がしている。なんか、もう、ぜんぶがダメな気がしている。

 そういえば、今朝、ユーチューブを見ていたら、哲学を簡単に解説するチャンネルがあった。老子の思想を解説する、ということだったので興味が湧いて見てみた。
 それによるとひとは無欲になることが大切なのだった。無欲というのは、老子的に言うと、自分の外側から与えられた欲ではなく、自分のなかから沸いてきた真の欲に従うことだった。たとえば、流行っている映画があったとして、ほんとうはあんまり見たくないのに、SNSやなんかでみんなが見ているから自分も見る、というような行動は外側から与えられた欲に振り回されていることになる。ほんとうにその映画に興味があって見たいのか、一度自分自身に問いかけてみるのがいい。真の自分自身の欲望に従い、無欲になったときに人生はうまくいくようになる。それが老子の考え方だった。
 なんだか最近、これと同じような話をあちこちでよく聞くような気がする。自分のほんとうにやりたいことを、自分に聞いてみることだ。それがいまの自分には大事なことだから、同じような話をいろんなところで聞くのかもしれない。自分がほんとうは何がやりたいのか、いま一度、立ち止まって考えてみたい。

休日の過ごし方

 先週の休日にはしながわ水族館に行って、今週はサニーデイ・サービスの映画を見に行った。どちらもひとりで行った。

 しながわ水族館のチケット販売の行列にひとりで並んでいるとき、周りはカップルと家族連ればかりだったので、そういうひとたちに囲まれて、表情が強張り、心のなかに負の感情が湧きおこった。そういうひとたちがみんなバカで下品な人間のようにかんじられたけれど、その周りを下に見る感情は自分自身の劣等感から来ていることがわかった。ぼくの目の前でお互いに猫パンチをし合っているカップルだって、話してみれば案外陽気ないいひとなのだと自分に言い聞かせた。そして、こんな気持ちになっている時点で自分は負けているとおもった。大勢でいるのがたのしいひとと、ひとりでいるのがたのしいひとがいる。ただそれだけなのに、こんな風に惨めな気持ちになるのはぼくが悪いのだ。
 券売機の前に立って、しばらく操作してみたけれど障害者割引用の選択がなかったので、近くのスタッフさんに声をかけて、「この券売機に障害者割引はないんですか?」と聞いたら、別の窓口に案内された。そのことが惨めな気持ちを増幅させたけれど、なるべく平気なふりをした。

 このようにぼくは孤独だった。水族館のなかに入っても、周りはカップルや家族連ればかりで、それがすごく気になった。ただ、魚を見に来ただけなのに、すごく自意識過剰になっていた。
 しながわ水族館は、普通の水族館にはないコンセプトがあって、それは水族館を公園のような場所にするというアイディアだった。だから、館内の水槽の前に椅子が置いてあるところや、カフェが開いているところがあった。すごくいいコンセプトだとおもう。カップルが椅子に並んで座って、お互いにもたれかかり合いながらペンギンが泳ぐのを見ていた。子どもたちが七色に発光する綿菓子を食べていた。最近は綿菓子も七色に発光するんだな、くらいにしかかんじない無感動な自分に気がついた。

 ぼくはクラゲの写真を撮ってツイッターにあげた。ツイッターのみんながクラゲを好きなことはよく知っていた。いま、ぼくはひとりでいるように見えるけれど、ツイッターのフォロワーがいっしょにいるのだ、とおもうこともできた。
 なるべくひとが少ない場所にある椅子を探して座った。

 しながわ水族館スカイツリーのふもとにある。そこに行く途中に乗った長いエスカレーターの側面の壁、一面を埋めていた笑顔の高校生の集団の広告がおもいおこされる。アクエリアスポカリスエットか、とにかくそんなかんじだ。青春真っ盛りの運動部の高校生の若さが炸裂していた。率直に言うとおぞましいな、みたいな印象を受けたけれど、世の中にはそういうのをよしとするひとがいるから、こんなにも大きな広告があるのだ、という気がした。そのことについてあまり深く考えたいとはおもわなかった。趣味が合わないひともいるというだけなのだ。

 しながわ水族館の後、スシローでお寿司を食べた。ぼくはこうやって休日にひとりで出かけてはスシローに入っている気がする。
 これがしながわ水族館の思い出だった。

 今週はサニーデイ・サービスの映画を見に吉祥寺に行った。パルコの地下の映画館でチケットを買った。はじめて来る映画館だったけれど、なんとなく落ち着く雰囲気の場所だという気がした。浮遊感のある不思議な音楽が流れていて、映画のポスターがズラリといっぱいあって、ポップコーンの甘い匂いがした。はちみつみたいな匂いだ。はちみつのポップコーンなのかもしれない。
 映画がはじまるまで二時間あったので、まず、古着屋巡りをした。目当ては赤いアロハシャツだった。以前、ツイッターのフォロワーの集まりで、「まいたけさんは赤いアロハシャツを着たら似合うとおもう」と言われたので、それ以来、頭の片隅にずっと引っかかっていた。そんなの似合うわけないだろ、と内心おもっていた。赤は普段から避けている色だ。色自体が嫌いだとかいうわけではないけれど、自分のイメージに合わない気がしていた。でも、鏡の前で赤いアロハシャツを自分に当てて見ると意外に似合うような気がしてきた。
 この日は赤いアロハシャツを購入まではしなかったけれど、アロハシャツが似合う自分、という新鮮な発見があった。
 その後は、例によってスシローに入った。揚げ物とか、お肉のお寿司をよく食べた。カレイのフライのお寿司だとか、グリルチキンのお寿司だとかだ。その結果、揚げ物の匂いが身体に染み付いてしまった。
 映画がはじまる三十分くらい前に映画館に戻った。そのときも身体から揚げ物の匂いがしていた。映画館の椅子に座って上映時間になるまで待った。
 『ドキュメント サニーデイ・サービス』はいい映画だったとおもう。あまり人気のある映画ではないからか、座席が三列しかない小さなスクリーンでの上映だった。その三列をサニーデイ・サービスのファンが埋めた。
 ドラムの丸山晴茂が亡くなって、残りの二人のメンバー(曽我部恵一と田中貴)がドラムなしでの追悼ライブで演奏した『セツナ』にはグッときた。泣いた。

 そして、きょうは一日、家にいてとくに何もしないで過ごしている。
 ここ二週間、連続で遊びに行ったけれど、疲れた。ひとりで遊び歩くと寂しい、という気がするけれど、別に誰かと一緒なのも気疲れするというのはある。遊びに行くこと自体が疲れる。家で本を読んだり、音楽を聴いたり、映画を見たりしている方がいいのかもしれない。それでもこうしてブログに書くネタができるのはいいことだとおもう。

オタクになりたい

 ぼくは自分のことばかり話しているな、という気がしてきた。ツイッターのツイートもだいたいが自分のことだ。そういうのはよくないとおもう。自分のことを話すのもいいけれど、自分のことばかり話しているのもどうだろう。自分の外に目を向けてみたい。そうおもった。

 自分の外に目を向けて、それについて話す。それはでも、具体的にどういうことなのだろう。自分のこと以外の話をするとしたら、どういう話になるのか。

 まず、いちばんよくあるのは天気の話だろう。暑いとか、寒いとか、過ごしやすいとか、雨が降っているとか、そういうかんじだ。

 次に、自分以外のひとの話。つまり、噂話というやつだ。それはでも、あまり上品なことではない。誰と誰はできているとか、結婚したとか、離婚したとか、不倫したとか、薬物をやっていたらしいとかいう話だ。芸能ニュースのようなものだろう。ひとのことなんてどうでもいいと言えばどうでもいい。

 他によくある話は食べ物の話。きのう、何を食べたとか、最近流行っているあれが食べたいとか、自分の好物はカレーだとか、そういう話だ。こういう話もよくテレビでやっている。無害と言えば無害だし、食べることが嫌いな人間は少ない。そういう意味でいい話題だと言えるかもしれない。でも、退屈と言えば退屈だ。たとえば、マッチングアプリでも、相手の女の子との共通点が「寿司が好き」だけだったら頼りないだろう。

 あとは健康の話なんてどうだろうか。これも考えてみればテレビでよくやっている。お互いの身体の悪いところを話題にして、どうすれば健康になれるかと話す。若者はあんまりそういう話をしないかもしれないけれど、中年以降のひとにとっては気になる話題だろう。酒の飲み過ぎ、タバコの吸い過ぎ、運動不足、太り過ぎなどについてひとからいろいろ言われるようになる。

 ぼくは、母とたまに電話するんだけれど、母と話すことは以上のようなことが多い。退屈と言えば、退屈だ。あまり仲の良くないひととは以上のようなことを適当に話す。それが雑談というものだ。でも、世の中には他にも話題はある。

 たとえば、趣味の話、政治の話、哲学の話、この世界の成り立ちについて。他にもいろいろある。ここまでくると少しオタクっぽい話題だとおもう。でも、そういう話ができたらきっとおもしろいな、とおもう。雑談ができるのは大事なことだけれど、雑談しかできないというのもつまらないことだとおもう。たまには深い話がしたい。

 考えてみれば、食べ物の話だって極めようとおもえば、どこまでも深く話すことができる。ただ、だいたいのひとは表面的な話しかできない。これは何でもそうだ。表面的な話も大事だけれど、たまには深い話がしたい。

 ぼくは、自分のことについて話し過ぎるからそれをやめたいとおもっている、という話をしていたのに、少し話題がズレてきた気がする。ぼくは孤独な人間なので、ついつい話が自分の話ばかりになる。

 自分以外のことについて詳しく話すには、何かのオタクになるのがいいのではないかとおもう。オタクになる、というよりかは、オタク気質になるのがいい。

 もちろん、ひとことでオタクになると言っても難しい。たとえば、オタクの趣味の代表のように言われる電車一つとっても、いろんなオタクがいる。電車に乗ってたのしむ乗り鉄、電車の写真を撮ってたのしむ撮り鉄、アナウンスの声真似をするマニア、時刻表が好きなひとなど、同じ電車オタクでも電車にたいするアプローチの仕方が違う。

 同じ映画を見ても、俳優のファンだとか、監督のファンだとか、ストーリーに注目しているひとがいれば、演出が気になるひともいる。それと同じだ。

 物事を見る視点というものが違うから、そういう違いが生まれる。よく考えてみると、そういう視点の違いが個性だとおもう。だから、自分がどういうアプローチで対象に迫るのか、という部分は自分の意志では変えられない性格の部分なのかもしれない。

 とにかく、ぼくはオタクではない。なぜだろう? それは好きなひとや好きな生き物、好きなもの、好きな作品があってもその好きを深めようとおもわないからだとおもう。たしかに、オタクによって対象にアプローチする仕方は変わってくるかもしれないけれど、ぼくはとくに何かについて深く関わろうとはおもわない。好きという気持ちが淡泊だからこういうことになるのかもしれない。

 話が少しずつ自分の話になってきた気がする。開き直って自分の話をしよう。

 ぼくがオタクになりたいとおもったきっかけは二つある。それはまず、自分のことばかり話している自分が嫌になったからだ。これはもう話した。もう一つはアルバイト中の体験がもとになっている。

 アルバイト中に気分が悪くなって早退してしまった、という出来事があった。ぼくはメンタルが弱いので、けっこう頻繁に気分が悪くなる。それは具体的にどこか身体の調子が悪いとかではなくて、なんとなく気分が悪くなるのだ。そういうときには、何かたのしいことを考えて、気分が上向くようにしたいと考えた。

 何を考えれば気分がよくなるのか考えた。たとえば、恋人ができる妄想なんてどうだろう、そうおもったのだけれど、ぼくは妄想が苦手だし、実現の可能性のない非現実的な妄想をしても気分がのらない。恋人ができる可能性はほとんどゼロなんじゃないか? というようなことが気になって気分が上がらない。

 いろんな可能性を考えた結果、自分の好きなものについて考えればいい、という結論になった。自分が好きなものについて考えることで、なんとなく調子が悪いという状態を切り抜けられるのではないだろうか、とおもった。

 それがぼくがオタクになりたいとおもった理由だ。

 でも、ぼくはもともとオタク気質ではないし、もう三十五歳なので、これからあらためてオタクになるのは難しいかもしれない。どんなことでも言うのは簡単だけれど、実際にやるのは難しいものだ。

 いちばんいいのは、あまり口を利かずに黙っていることなのかもしれない。でも、それもなかなか難しいことだ。

何事もほどほどに

 ひとはなんにでも飽きるものだ、というものの見方がある。たとえば、ぼくは、自分にパートナーができないことで悩んでいた。ひとりで生きていくには人生は長すぎる、とおもっていたのだ。寂しくひとりで老いて、ひとりで死ぬ、ということに絶望していた。そういう状態が三年間くらい続いた気がする。そして、最近はその悩みに飽きた。ひとはなんにでも飽きるし、慣れてしまうものなのだ。

 いや、しかし、そのものの見方はあまりにもクールぶっている、とも言える。悟りすましている、と言えるだろう。ほんとうのところを言うと、ぼくは悩んでいるうちに、いろいろと自分が納得できるような材料を集めて、それを考えて、ようやく腑に落ちるところまで持って行ったのだとも言える。悩むのに飽きたというか、悩み疲れたというか、一応のところまで自分のなかで解決したと言えるのかもしれない。

 飽きた、というのももちろんある。そういう角度から見ることもできる。でも、やはり、その反対側には、一生懸命考えて納得いくところまで持っていった自分、というのもあるのだなあって気がする。つまり、五十パーセントはただ飽きただけかもしれないけれど、残りの五十パーセントを埋めたのは、一生懸命悩んだからだ、と言えるのではないだろうか。

 だから、悩んでいるひとにたいして、何かアドバイスをするときに「そのうち飽きるよ」と言うのもいいかもしれないけれど、「もっと悩んで、納得できるまで考えたまえ」というのもいいだろう。最近、気がついたのは、物事にはいろんな面があるので、ある一側面だけからそれを捉えることはできないということだった。これは数少ないこの世界の真理の一つだろう。

なんだか、三十代になった辺りから、こんな風にしてぼくは、妙に理屈っぽくなってきてしまった。

 

 ぼくが自分にパートナーができないことをどのようにあきらめたか、という話をしたい。

 一般的にはあきらめるというとネガティブな印象のある言葉だ。熱血漢、たとえば岡本太郎のようなひとに、「アキラメルナ!」と叱られるかもしれない。でも、これはよく言われる話だけれど、あきらめるというのはもともと仏教の言葉で、「明らめる」と書き、「物事を明らかに見極める」くらいの意味があって、由来は意外にポジティブなのだ。まあ、これくらいの話はみんな知っている。

 しかし、そう言うと、ぼくが仏教的にあきらめることを解釈して、ある種の悟りから、パートナーをつくることをあきらめた、みたいに聞こえるかもしれない。そう言うと、なんだかクールぶっているというか、悟りすましている、みたいな印象をひとに持たれるかもしれない。たしかにそういう面もあるだろう。でも、やってみるとわかるけれど、自分の欲しいものをきっぱりとあきらめるのは実際のところ難しい。あきらめたと口では言いつつ、実は未練たらたらということはよくある。ぼくもそうなのだ。

 さっきの話ではないけれど、ぼくの場合で言うと、五十パーセントはあきらめているかもしれないけれど、まだ残り五十パーセントくらいは未練がある。そして、それでいいのだという気がしている。なぜなら、ぼくがパートナーをつくることを完ぺきにあきらめてしまった場合、何かのきっかけで偶然チャンスが巡ってきたときにも行動を起こさないだろうからだ。せっかく女の子から好意を持たれているのに、ぼくのあきらめがあまりにも深すぎてそれに対応できない、ということがあり得る。そう考えると、あきらめると言っても、百パーセント完全にあきらめるなんてことはなかなかできないだけではなく、よくないことなのだとも言える。熱血漢、たとえば岡本太郎のようなひとの言うこともやはり一理あるのだ。

 物事はほどほどがいい。これは、難しい言葉でいうと中庸の教えと言って、昔からある考えで、たぶん、孔子とかが言ったんだとおもうけれど、数少ないこの世界の真理だと言えるだろう。ぼくのように発達障害があると、ついつい白黒思考に陥り勝ちなので、何かことがあるごとに「中庸、中庸、ちゅうよう、ちゅうよう、ちゅ~よ~う」と唱えたい。これはぼくの勘ではそれくらい大事な教えだ。

 

 少し話が逸れてしまったんだけれど、次にぼくが自分にパートナーができないことをどうやってあきらめたのか(あきらめたと言っても五十パーセントくらいだけれど)を書こう。なんだか、だんだん文章を書くのに飽きてきたので手短にいきたい。この文章が、ぼくと同じようにパートナーがいなくて寂しいおもいをしているひとに読んでもらえて、少しは参考になればうれしい。

 ……ただたんにぼくは平凡な幸せに憧れていただけだったのだろう。

急に、この文章を続けるのが嫌になった。それにはいくつかの理由があるけれど、何よりも大きいのが、自分にパートナーができない理由、自分がモテない理由を長々と書くのが憂うつだからだって気がする。それに、モテない理由なんて個別のものなので、ぼくが自分のケースについていちいち書いても誰かの参考になったりはしない。

 ぼくはずっとモテない人生を生きてきたのでわかるんだけれど、モテない理由というのは、それはそのひとがそのひとだからモテない、というくらいどうしようもないことだ。生まれつきの遺伝子で決まってるんじゃないかとおもう。モテるかモテないかは生まれつきの遺伝子で決まっている。そういう言い方もいいだろう。ぼくは孤独の星の下に生まれたのだとおもってあきらめることにした。

 もう飽きたし、読んでくれているひとも飽きたとおもうので、この文章はここで終わりです。アルバイトに行く時間です。それでは、また。

フォロワーの印象

 フォロワーはタバコを吸っているとき「幸せです」と言った。フォロワーはヘビースモーカーのようだった。フォロワーの吸っているタバコはコンビニには売っていない。フォロワーと神保町を歩いていると、いろいろかわいいものや素敵なものが見つかった。とくに本屋にいるときはほしい本がどんどん見つかった。ぼくたちはエチオピアというカレー屋さんでカレーを食べて、瓶ビールをシェアした。「シェアした方がたのしいでしょう」とフォロワーは言った。

 

 フォロワーは「自分の人生は逃げてばかりだった」と言った。フォロワーはドイツのベルリンから一時的に帰国していて、きょうはぼくの家の近所のコメダ珈琲店まで来てくれたのだ。「子どもは親を信頼していないと反抗期が来ないものだ」という話になった。ぼくは自分の親には問題があったと話したけれど、ぼくには反抗期があった。そこで話が少しすれ違ったようなかんじがあった。コメダ珈琲店を出て、駅まで歩きながら、「また帰国したら会いましょう。こんどは秋くらいかもしれない」と言っていた。

 

 フォロワーとサイゼリヤで晩ごはんを食べた。ぼくはお腹が空いていた。メニューを見ているぼくを見て、フォロワーは「けっこうお腹が空いているんじゃない?」と言った。フォロワーにはぼくのお腹が空いていることがわかるのだ。「熊野さんに伝言がある。熊野さんはいつも暗いことばかり言ってるから、もっと明るくていいって言ってた」とフォロワーは言った。そして、「happiness」と書かれた黄色いピンバッチをくれた。「熊野さんには幸せになってほしいと言っていたよ」。ぼくはそのピンバッチを無印良品のリュックサックに付けた。

 

 フォロワーは古本屋で働いている。まだフォロワーは二十一歳だった。ぼくたちは三軒茶屋にあるコメダ珈琲店で三時間くらい話し込んだ。フォロワーはタイの映画監督のアピチャッポンの映画にハマっていて、その話をしていた。最近、恋人ができたようで、ゴールデンウィークは恋人と植物園に行くと言っていた。ツイッタラーは恋人ができて、幸せになるとツイッターに来なくなるという話がある。幸せになったのかどうかはわからないけれど、若いフォロワーを最近見かけなくなった。

 

 フォロワーとスシローに行った。フォロワーは実はスシローに来たのは初めてだった。ぼくはスシローの看板の前でポーズをとるフォロワーを撮影した。スシローは異様に店内放送の音量が大きくて、「耳が悪いひとがいるのかな」とフォロワーと話した。お腹いっぱいになるまで食べた後、フォロワーは「もしも、この後、まだ食べるとしたら、何を食べるか空想する遊びをしようぜ」と言った。変なことをおもいつくひとだ、とおもった。「玉子かな。まだ食べてないし」とぼくは言った。

 

 フォロワーと雨の吉祥寺で映画を見た。『コーダ あいのうた』という映画だった。ぼくはいい映画だとおもったけれど、フォロワーはけっこうシビアな感想を言っていた。映画の後で、サイゼリヤに行った。ぼくは「結婚のお祝いに奢るよ」と言ったが、断られた。フォロワーは結婚した後で半年くらい外国を旅するのだと言っていた。トルコに行って、それからヨーロッパをぐるぐる回って、スペインを横断する。その後、エジプトに行くかもしれないし、インドに行くかもしれないとフォロワーは言った。