ミツオ日記

自称詩人 熊野ミツオの日々

オタクになりたい

 ぼくは自分のことばかり話しているな、という気がしてきた。ツイッターのツイートもだいたいが自分のことだ。そういうのはよくないとおもう。自分のことを話すのもいいけれど、自分のことばかり話しているのもどうだろう。自分の外に目を向けてみたい。そうおもった。

 自分の外に目を向けて、それについて話す。それはでも、具体的にどういうことなのだろう。自分のこと以外の話をするとしたら、どういう話になるのか。

 まず、いちばんよくあるのは天気の話だろう。暑いとか、寒いとか、過ごしやすいとか、雨が降っているとか、そういうかんじだ。

 次に、自分以外のひとの話。つまり、噂話というやつだ。それはでも、あまり上品なことではない。誰と誰はできているとか、結婚したとか、離婚したとか、不倫したとか、薬物をやっていたらしいとかいう話だ。芸能ニュースのようなものだろう。ひとのことなんてどうでもいいと言えばどうでもいい。

 他によくある話は食べ物の話。きのう、何を食べたとか、最近流行っているあれが食べたいとか、自分の好物はカレーだとか、そういう話だ。こういう話もよくテレビでやっている。無害と言えば無害だし、食べることが嫌いな人間は少ない。そういう意味でいい話題だと言えるかもしれない。でも、退屈と言えば退屈だ。たとえば、マッチングアプリでも、相手の女の子との共通点が「寿司が好き」だけだったら頼りないだろう。

 あとは健康の話なんてどうだろうか。これも考えてみればテレビでよくやっている。お互いの身体の悪いところを話題にして、どうすれば健康になれるかと話す。若者はあんまりそういう話をしないかもしれないけれど、中年以降のひとにとっては気になる話題だろう。酒の飲み過ぎ、タバコの吸い過ぎ、運動不足、太り過ぎなどについてひとからいろいろ言われるようになる。

 ぼくは、母とたまに電話するんだけれど、母と話すことは以上のようなことが多い。退屈と言えば、退屈だ。あまり仲の良くないひととは以上のようなことを適当に話す。それが雑談というものだ。でも、世の中には他にも話題はある。

 たとえば、趣味の話、政治の話、哲学の話、この世界の成り立ちについて。他にもいろいろある。ここまでくると少しオタクっぽい話題だとおもう。でも、そういう話ができたらきっとおもしろいな、とおもう。雑談ができるのは大事なことだけれど、雑談しかできないというのもつまらないことだとおもう。たまには深い話がしたい。

 考えてみれば、食べ物の話だって極めようとおもえば、どこまでも深く話すことができる。ただ、だいたいのひとは表面的な話しかできない。これは何でもそうだ。表面的な話も大事だけれど、たまには深い話がしたい。

 ぼくは、自分のことについて話し過ぎるからそれをやめたいとおもっている、という話をしていたのに、少し話題がズレてきた気がする。ぼくは孤独な人間なので、ついつい話が自分の話ばかりになる。

 自分以外のことについて詳しく話すには、何かのオタクになるのがいいのではないかとおもう。オタクになる、というよりかは、オタク気質になるのがいい。

 もちろん、ひとことでオタクになると言っても難しい。たとえば、オタクの趣味の代表のように言われる電車一つとっても、いろんなオタクがいる。電車に乗ってたのしむ乗り鉄、電車の写真を撮ってたのしむ撮り鉄、アナウンスの声真似をするマニア、時刻表が好きなひとなど、同じ電車オタクでも電車にたいするアプローチの仕方が違う。

 同じ映画を見ても、俳優のファンだとか、監督のファンだとか、ストーリーに注目しているひとがいれば、演出が気になるひともいる。それと同じだ。

 物事を見る視点というものが違うから、そういう違いが生まれる。よく考えてみると、そういう視点の違いが個性だとおもう。だから、自分がどういうアプローチで対象に迫るのか、という部分は自分の意志では変えられない性格の部分なのかもしれない。

 とにかく、ぼくはオタクではない。なぜだろう? それは好きなひとや好きな生き物、好きなもの、好きな作品があってもその好きを深めようとおもわないからだとおもう。たしかに、オタクによって対象にアプローチする仕方は変わってくるかもしれないけれど、ぼくはとくに何かについて深く関わろうとはおもわない。好きという気持ちが淡泊だからこういうことになるのかもしれない。

 話が少しずつ自分の話になってきた気がする。開き直って自分の話をしよう。

 ぼくがオタクになりたいとおもったきっかけは二つある。それはまず、自分のことばかり話している自分が嫌になったからだ。これはもう話した。もう一つはアルバイト中の体験がもとになっている。

 アルバイト中に気分が悪くなって早退してしまった、という出来事があった。ぼくはメンタルが弱いので、けっこう頻繁に気分が悪くなる。それは具体的にどこか身体の調子が悪いとかではなくて、なんとなく気分が悪くなるのだ。そういうときには、何かたのしいことを考えて、気分が上向くようにしたいと考えた。

 何を考えれば気分がよくなるのか考えた。たとえば、恋人ができる妄想なんてどうだろう、そうおもったのだけれど、ぼくは妄想が苦手だし、実現の可能性のない非現実的な妄想をしても気分がのらない。恋人ができる可能性はほとんどゼロなんじゃないか? というようなことが気になって気分が上がらない。

 いろんな可能性を考えた結果、自分の好きなものについて考えればいい、という結論になった。自分が好きなものについて考えることで、なんとなく調子が悪いという状態を切り抜けられるのではないだろうか、とおもった。

 それがぼくがオタクになりたいとおもった理由だ。

 でも、ぼくはもともとオタク気質ではないし、もう三十五歳なので、これからあらためてオタクになるのは難しいかもしれない。どんなことでも言うのは簡単だけれど、実際にやるのは難しいものだ。

 いちばんいいのは、あまり口を利かずに黙っていることなのかもしれない。でも、それもなかなか難しいことだ。